老松神社

小郡市上岩田1374 (平成25年12月25日)

東経130度34分35.49秒、北緯33度23分47.39秒に鎮座。

この神社は、甘木鉄道・松崎駅の西700m程の辺り、大分自動車道・井上PAのすぐ南に鎮座しております。

御祭神 菅原眷属神・高良玉垂命・住吉大神

由緒
この老松宮はもと、上岩田、井上、下岩田の氏神であり、この神の鎮座地を昔は神磐戸(かみいわと)と称していた。上岩田の地名は、神磐戸から神磐田、上岩田と変わったのであろう。大昔、神功皇后が秋月の羽白熊鷲(はじろくまそ)を征伐せられ、次で筑後国、山門県の田油津姫(たふらつひめ)を滅ぼそうと、津古から舟にて得川(宝満川)を下られ、この神磐戸にお着きになった。今の老松宮は当時の行在所の跡で、その御駐輦の折、武内宿祢をして、御剣を祀らしめられた。その不動石が境内にあったが、現在は不明、又境内内に大岩窟があったが、正保年間(1644〜1648)これを破壊し、その巨石を稲吉堰の築造に利用したので、今はその跡があるだけである。
昔の社殿は後三條天皇の延久2年(1070)上岩田の庄領家菅原氏の造立で、その後高橋城主の高橋氏、肥前の筑紫氏等によって再建され、御原郡の総社と仰がれた由緒ある神社で、宝物等数多くあった。天正14年(1586)島津勢が筑前に攻め上る際、兵火にかかり神殿末社、社宝文献等ほとんど焼失し、僅かに獅子頭、火王面が残っているだけである。その後寛永年間(1624〜1644)、文化年間(1804〜1818)に再建され、今日に至っている。享保年間(1716〜1736)までは、毎年9月19日附近11ヶ村民相集って、盛大な神事が営まれ、大板井の地まで御神幸があっていた。明治6年に村社に列せられた。
尚境内の中島にある五重の塔は、元徳2年(1330)、岩田の庄の領家、地頭直人が、天長地久祈願のため建立したものであり、又、一の鳥居は寛文3年(1663)造営である。昔は神田も数多くあったが、今は地名(火玉田、彼岸田、神楽田…等)として残っている。大正5年(1916)、井上の古北神社を若宮八幡宮に合祀した。
境内由緒書き より

参道入口

参道入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(明治32年(1899)7月吉日建立)

参道

神橋と一の鳥居

二の鳥居

参道左右、強面の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和11年(1936)9月吉祥日建立)

境内

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(文化8年(1811)辛未9月吉祥日建立)

拝殿内部

本殿前の随身様
本殿前の木造狛犬

本殿


市指定無形文化財、上岩田注連ねり(人形じめ)。教育委員会の説明はこちら。

拝殿の大じめ

小じめ

手前に牛がいるので天神社か?

境内

御神木