直方市植木 (平成22年4月2日)
東経130度43分39.44秒、北緯33度44分25.52秒に鎮座。
この神社は、筑豊本線・直方駅の南500m程の辺り、直方市を見下ろす高台に鎮座しております。由緒ある、立派な神社なのですが、何とこの神社には門限があり、五時で神門が閉ざされてしまうのです!。残念。時計を見たら、六時を少し回っておりました。・・・・・と言う訳で、何時か、改めて紹介したいと思います。狛犬も一対撮り忘れるといったポカをしいるし〜・・・・・。又参拝に来い!と、言う神の声でしょう。
多賀神社御由緒
御祭神 伊邪那岐大神・伊邪那美大神
壽命の神多賀大神は、天照大神の御両親にて、御社は古く日の若宮と稱す。奈良朝の養老三年に再建し、天平八年妙見大明神を稱へた。
正平十三年懐良親王願主となり、菊池武光資を献じ、葉室惟言改築す。
黒田藩政の時、長清社殿を南の山上より今の地に遷し、元禄五年宮司青山敏文は禁裡に願ひ、もとの多賀大神に改め、御神馬渡御の御神幸を復興す。
維新後明治三十五年及び正和十四年境内を拡張し、本殿以下を改築す。
春季大祭 四月十三日・十四日・十五日
秋季大祭 十月十三日・十四日・十五日
美しめ縄かけて祈らむ、いと長き、よはひを守る多賀の社に。正三位有功
境内由緒書より。
社号標と参道入り口に立つ一の鳥居
多賀神社の鳥居
この鳥居は、宝永4(1707)年、当時の直方藩四代藩主・黒田長清が寄進したものである。
中央の題額は青銅製で「多賀大神」と書かれている。柱には福岡藩の学者・貝原益軒の銘がある。右の柱には「石神門一雙黒田清■建」とあり、■建は創建の意味。左の柱には「宝永肆祀丁亥陬月令辰」とあり、肆祀は四年、丁亥はひのと亥、陬月は陰暦正月、令辰は吉日の意味。
ちなみに、鳥居の線路側が黒く変色しているが、これは蒸気機関車の煤煙の名残といわれる。
由緒書と鳥居の説明、原文はこちら。
参道。下は筑豊本線。この後、突き当たりを左に曲がり、石段を登ると境内となります。
参道途中の狛犬。拡大写真はこちら。
(皇紀2600年紀念 昭和15年(1940)建立)
最後の石段
境内
境内の狛犬。拡大写真はこちら。
(明治40年(1907)6月吉祥日建立)
神門
拝殿
本殿
藤姫稲荷大神
蛭子社
境内に咲く桃の花
境内より見る筑豊本線と参道