現人(あらひと)神社

那珂川市仲3丁目6−20 (平成30年1月3日)

東経130度25分37.38秒、北緯33度30分11.14秒に鎮座。

この神社は、JR博多南線・博多南駅の南西2km程の辺り、仲の街中に鎮座しております。

御祭神 底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后・級長津彦命・級長戸辺命

由緒
約1800年前、神功皇后により、神功皇后の命により、藤原朝臣佐伯宿禰が祀官を務めるようになりました。平安時代になると、朝廷より派遣された大蔵原田氏、少弐氏により尊崇を受け、広大な境内を有し繁栄を極めました。博多の住吉神社とともに、後白河院領として広大な領地を有していたのです。 約900年前の寿永年間、太宰少弐原田種直が岩戸河内(那珂川市安徳)に館を設けた頃より、現人神社は岩戸郷二十三ヶ村(那珂川市)の総社として仰ぎ奉られました。
神領・神田等多くの寄進があり、原田家の厚い崇敬を受けました。社人も三十余名おり、官幣も捧げられる程に繁栄しており、御幸・流鏑馬・大相撲等、神事も盛んでした。しかし、約400年前の戦国時代(天正十四年)、島津軍との戦乱のため現人神社も戦火を蒙りました。社殿・神宝・古文書・縁起がことごとく焼失し、社人三十余名も戦乱に命を落としました。佐伯刑部の跡取り・松千代(当時7歳)が一人だけ生き残り、祀官を継ぎ今に至ります。
300年前の元禄年間、当時の地頭であった黒田靭負重実のもとで、村人が現人神社の復興を図り、現在の神殿が再建されます。正徳四年(1714年)には石の鳥居が奉納されます。
天明七年(1787年)に第九代藩主黒田斉隆が参拝、石灯籠一対の寄進がありました。常夜燈(文政七年)、手洗鉢(天保十四年)、狛犬(明治十五年)、注連掛石などがあります。拝殿の中には、文政七年(1824年)に第十代藩主黒田斎清により寄進された絵馬をはじめ、嘉永六年に斎藤秋圃の描いた絵馬など、天保・嘉永・文久年間に奉納された古い絵馬があります。また再び様々な祈祷が盛んに行われるようになります。
明治五年には、太政官布告により現在の現人神社に改称されました。
これらの歴史がすべて残るほどに伝統を受け継いできた現人神社では、現在も神事復興に勤め、人々のやすらぎの象徴になれるよう尽力しております。
現人神社公式サイト より。

境内由緒書きはこちら。

神社入口

境内

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(明治15年(1882)11月吉日建立)

拝殿内部

本殿


地禄神社

御神木