織幡神社

宗像市鐘崎 (平成22年4月2日)

東経130度31分40.46秒、北緯33度53分04.27秒に鎮座。

この神社は、宗像市の北西外れ、玄界灘に突き出た鐘ノ岬。そこの佐屋形山、山頂近くに鎮座しております。

織幡宮
祭神 武内宿祢・住吉大神・志賀大神
縁起
平安初期、朝廷の年中儀や制度などの事を書いた”延喜式”の中に、日本中の神社が記してあります。織幡宮は、筑前十九社の第二番目に記され、宗像郡内でも、宗像大社に次ぐ神社として記録されています。その昔、文字を持たない時代から、古代の人々は、山の神、海の神、岬にも神霊を感じて航海安全を「ちはやぶる神の岬」として祈った時代もあったと思われますし、織幡宮は武人、武内宿祢を鎮護国家の備えとして、交通要衝 鐘崎に祀ったといわれています。古文書に、元禄八年(1695)社殿造立。元禄十六年(1703)拝殿成就と記され、古い歴史がしのばれます。

織幡神社(おりはたじんじゃ)とは、福岡県宗像市鐘崎の鐘ノ岬にある神社である。式内社(名神大)、旧県社で、現在は宗像大社の摂社である。織幡宮(おりはたぐう)ともいい、地元の住民からは「シキハン様」と呼ばれている。

主祭神として、中座に武内宿禰、西座に住吉大神(住吉三神)、東座に志賀大神(綿津見三神)を祀り、天照皇大神・宗像大神・香椎大神・八幡大神・壹岐真根子臣を配祀する。

『宗像大菩薩御縁起』によれば、神功皇后の三韓征伐に際し、宗大臣(宗像大社の神)が「御手長」という旗竿に武内宿禰が織った紅白2本の旗をつけ、これ上げ下げして敵を翻弄し、最後に息御嶋(宗像の沖ノ島)に立てたという。武内宿禰が旗を織ったのが当地で、その旗が祀られていると伝えられる。武内宿禰は、「我死なば神霊は必ずやこの地に安ずべし」と伝言したといい、境内右手には武内宿禰が沓を残して昇天したと伝えられる沓塚がある。

延喜式神名帳では名神大社に列し、宗像郡内では筆頭の宗像大社の次に記されている。鎮国寺と宗像大社三社を併せて「宗像五社」と呼ばれ、古くから朝廷の尊崇が厚かった。

明治5年に村社に列格し、明治10年に宗像神社(現 宗像大社)の境外摂社、明治15年に郷社、昭和3年に県社となった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

神社入口と一の鳥居

二の鳥居と社号標

参道と佐屋形山

石段の参道

最後の石段

拝殿

拝殿前の狛犬。残念ながら表情がいまいち良く分かりません。拡大写真はこちら。

(年代不明)

本殿


参道途中と今宮神社

不明の末社

須賀神社

海原神社・恵比須神社


県指定天然記念物、織幡神社のイヌマキ天然林一叢

境内より見る鐘崎港

海女発祥の地祈念碑と海女の像