八所宮

宗像市吉留3186 (平成22年4月2日)

東経130度37分12.45秒、北緯33度48分21.7秒に鎮座。

この神社は、宗像市の北東外れ、岡垣町との堺に近い山麓に鎮座しております。何と境内にキャンプ場がある位、自然に囲まれた場所です。神武天皇が日向国から大和へ向かう途中、この地で皇軍を先導されたと伝えられる、八柱の神を祀って、豊かな杜に囲まれ鎮まっております。

八所宮由緒記
御祭神 泥土煮尊(ういじにのみこと)・沙土煮尊(すいじにのみこと)・大戸道尊(おおとのじのみこと)・大戸邊尊(おおとべのみこと)・面足尊(おもたるのみこと)・綾惶根尊(あやかしこねのみこと)・伊弉諸尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)・
天照皇大神の御両親を始め神代四夫婦八柱の神を祭り、依って八所宮と言う
由緒
八所の神は西海守護の神で神武天皇御東征の折、蘿ヶ岳に姿を顕し赤馬に乗り人民を指揮して皇軍を先導されたと伝えられている。この事からこの地域一帯を「赤馬庄」と言い、又吉き所に留り給うたが故に社殿の地を「吉留」と言う。
社殿は始め鶺鴒山の麓、御手洗池の辺に鎮座ましましたが、今を去る約千三百年前、人皇四十代天武天皇の白鳳二年十二月御神託により、現在の地鶺鴒山頂に御遷座された。八所の神は昔より朝廷の信仰も厚く、人皇二十代安康天皇は中臣利盛を勅使として派遣され、奉幣の祭儀を執り行わせ給い、其の際、松二本を植えて標とされた。人々はこれを相生の松、又は安康の松と稱え其の一本は最近迄休殿の地に残存し、縣の文化財に指定されていたが、昭和三十一年災害のため枯死し今は其の銘碑のみ残っている。
五十代桓武天皇の朝、橘逸勢は遣唐使に従って航路の安全を祈願し、又六十代醍醐天皇の延喜年間には初代宗像大宮司中納言清氏も親しく参拝し、和歌を奉納している。
近くは豊臣秀吉肥前下向の折、三宝盃を神前に捧げ戦捷の祈願を行い、小早川隆景筑前国主となるや太刀、幕、御饌田を奉納し神殿を改修したと伝えられている。又その後の藩主黒田家に於いても扁額等を奉納するなど尊崇の念が厚かったという。現在神殿に掲ぐる「八所宮」の神額は小野道風の書と伝えられている。安芸の厳島神社に現存する大梵鐘は應永五年鋳造で銘に「西海道筑前州宗像郡赤馬庄八所大明神社頭の洪鐘也」とある。八所宮は古来神領も多く社職二十一家、吉留武丸を始め石丸藤原上畑等赤馬の庄十一ヶ村の総鎮主の神として人々の崇敬をうけてきた。昭和九年縣社に御列格。
境内由緒書より。全文はこちら。

29号線武丸交差点北近くに立つ一の鳥居

参道入り口に立つ二の鳥居と社号標「縣社八所宮」

参道途中の三、四の鳥居

参道最後の石段と五の鳥居

境内

拝殿と狛犬

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文政7年(1824)甲申6月吉日建立)

拝殿と本殿

本殿

本殿縁側の神殿狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)


参道途中の現人神社
御祭神 神直日神・大直日神・思兼神。由緒書はこちら。

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文久3年(1863)癸亥6月吉日建立)

本殿


稲荷神社

須賀神社・今井祇園社

天満宮・大歳社

八幡神社

貴船神社

神輿庫

行列道具倉庫

御神木

吉留地名発祥の御手洗池?