大木八幡宮

みやま市瀬高町大廣園 (平成25年12月23日)

東経130度29分14.90秒、北緯33度08分08.75秒に鎮座。

この神社は、JR鹿児島本線・南瀬高駅の北東1.5km程の辺り、住宅と農地が入り混じった都市郊外といった雰囲気の中に鎮座しております。

大木八幡宮由来
柳河城主蒲池氏の祖先は関東下野国宇都宮三郎左エ門尉朝綱、宇治川合戦(治承4年(1180))のとき、将軍の下知を蒙り強敵を討ち、其功により筑後國を拝領す。其子兄弟三人鎮西に下降。宇都宮検校弥三郎頼綱は山門郡大木村に在城し主計頭と稱す。
此の人岩清水八幡宮の御分霊を勘定し土中に七節ある八幡名竹を持参ありて社殿を建立し周囲に竹を植え給う。今に社の境内四周に竹林あり。
この子孫大木知光(統光)は柳河藩主蒲池鎮並、戦死後肥前に往き、追腹せんとせしも竜造寺に止められ遂に鍋島氏に従う。社内に八竜社、天満社あり。大木氏この地に来る以前は天満宮を氏神とせしも八幡宮を崇敬あり氏神とせられし故に之を側に移し祀りしと云う。
旧藩の制毎年この八幡竹20本柳川藩に進上せしむ。藩に於ては役人を出張させ竹を選定せしむ。村民之を城中に運搬せば、特に城内の拝観を免さる。この竹を以て旗竿又は刀剣目貫竹等に使用せりと云う。
英山公(第4代立花鑑虎公)鷹狩のとき其愛養されし鷹、離れて帰り来らず。仍りてこの社に祈願をかけられしに其鷹直ちに帰り来れり。公大いに喜び画師に命じ松の上に鷹を描かしめ本社に奉納せらる。
境内由緒書き より

参道入口

神額

参道

神門

神門内の可愛い狛犬

境内

偶には掃除をして欲しい狛犬。拡大写真はこちら。
(明治28年(1895)12月吉辰建立)

拝殿

目の白さが気になる狛犬。拡大写真はこちら。
(明治45年(1912)壬子1月15日建立)

拝殿内部

本殿覆屋

御神木