みやま市高田町海津1666 (平成25年12月23日)
東経130度28分57.29秒、北緯33度07分29.18秒に鎮座。
この神社は、JR鹿児島本線・南瀬高駅の南東700m程の辺り、日本の農村と言った長閑な雰囲気の中に鎮座しております。由緒書きは無いのですが、海津御田植祭の説明はしっかりとあり、多分神社より祭が有名であるようです。
由緒
延元2年(1337)多々良浜の合戦に敗れた阿蘇小二郎惟澄これずみが、ようやくたどりついた筑後大木の里で、大木城主壱岐守貞守の手厚いもてなしを受け、暫く滞在して休養をとった。惟澄は城主の誘いもあって、海津古川の木の下郷に阿蘇神社の分霊を奉祀し、子孫代々神社に奉仕して村民の振興を集めた。
下って元和8年(1622)海津北阿蘇田の現在地に移転し、南北海津の氏神として今日に到っている。
高田町教育委員会発行「高田町の文化財」 より
参道入口と一の鳥居
神額
二の鳥居
神額
参道
ぎょろめのお惚け狛犬。拡大写真はこちら。 | |||
天保12年(1841)3月吉辰と大正14年(1925)9月吉日。二つの日付が彫られています。 天保が狛犬、大正が台座の建立日でしょうか。 |
注連柱と神門
注連縄
神額
木鼻の狛犬 | |
神門内の木造狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
境内
拝殿
注連縄
本殿覆屋
左脇社
右脇社
石祠