玉垂神社

久留米市大善寺町宮本(平成16年8月23日)

 この寅は慶應二年生まれの
方達が六十才の還暦祝いに奉納
した物だそうです。
 そこで大正15年制作です。

(明和7年(1770)仲冬吉祥日制作)

一の明神鳥居

二の明神鳥居と神門

とても立派な奥の神門

クレオパトラカットで胴長の尾付狛犬
顔も何やら異国情緒が漂う様な・・・

拝殿

本殿

摂社・佐野神の鳥居

  佐野神の社殿
簾の様な注連縄が面白い

ここには手塚治虫の【火の鳥】に出てくる
猿田彦鼻の様な筑後型狛犬がいました。

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 この神社は高良大社の旧別宮の一社で、武内宿彌、八幡大神、住吉大神をお祀りしています。
 創建は白鳳元年(672)、神功皇后の三韓出兵に大功のあった藤大臣(高良大明神・玉垂命とも称する)が、ここで没したのにちなみ、玉垂宮の古跡に法相宗の僧安泰が祭神を祀らせ、そばに1宇の精舎を開基して御廟院高法寺と号したのに始まるといわれています。後に天台宗となり、弘仁5年(814)、殿堂、楼門、回廊などを新たに建立し、大善寺と改められました。明治二年(1869)の廃仏毀釈で久留米藩では、玉垂宮のみを残し寺院を廃寺しました。
 国の重要無形民族文化財で、日本三大火祭りの一つである鬼夜は有名です。鬼夜については下記にてどうぞ。

起源
 鬼夜は、1600年もの昔から行われている火祭であり、天下泰平、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願する鬼会(おにえ)神事の満願の行事である。仁徳天皇の時代(368)に藤大臣(とうのおとど 玉垂命)が勅命で賊徒の肥前国水上の桜桃沈輪(ゆずらちんりん)を闇夜に松明(たいまつ)を照らして探し出して首を取り焼却したことに由来するという。
 新年の邪気を払う追儺(ついな)の夜祭りとして知られる鬼夜は、大晦日の夜から1月7日までの鬼会神事の最終日の夜に行われる。鬼会の最後の夜の神事であることから、鬼夜と呼ばれる。鬼夜の火にあたれば病にかからず、難を逃れるといわれ、また魔祓い(まばらい)神事に用いられる鉾に付けられた鉾紙(ほこがみ)は安産、幸運のお札として珍重される。

汐井汲み
 冬の夜空を赤く染めながら繰り広げられる勇壮な鬼夜は、約400名の氏子たちが締込み姿になり、巨大な松明に火を灯し、境内を引き回す勇壮な祭りである。この日の夜、裸の男達が松明を手に自宅から玉垂宮に集まる。
 午後8時頃汐井汲み(しおいくみ)の行事が始まる。松明を持った20名ほどの氏子が神社の前を流れる川の中ほどに注連縄(しめなわ)を張った汐井場(しおいば)に入り、禊を行ったのち樽に清水を汲み、神殿に奉納する。(写真右) 続いて汐井かき(しおいかき)に移り、鬼夜に参加する氏子が禊を行う。既に彼らが孟宗竹を束ねて作成した直径1m、長さ15m、重さ1.2tonもの巨大な大松明(おおだいまつ)6基が鐘桜前に据えられている。

大松明
 午後9時頃、締込み姿の若者達が大松明の前に集まり、一番鐘を合図に境内の灯が一斉に消される。夜店の灯など全てを消灯するようアナウンスが流れる。境内が闇に包まれた頃、二番鐘が打ち鳴らされ、「鉾とった、面とった、そら脱いだ」の掛け声とともに魔祓いの神事が始まり、同時に神火(しんび)が一番松明(いちばんだいまつ)に点火され、それを合図に6基全ての大松明に火がつけられる。
 神火は、大晦日に火打石により灯され、本殿で宮司(ぐうじ)が一週間ずっと守り続けてきた貴重なものである。境内は赤々と燃え上がる炎の光で満ち溢れる。大松明の炎(鬼火)の前で古式にのっとり、魔払いの神事が続けられる。
 松明が燃え進むと縄で巻いている部分まで燃えてくるため、裸の若者が大松明に登り、縄を切る。この縄切りは、熱くて危険な作業だが、炎に映し出される締込み姿は何とも凛々しく、岸和田だんじり祭りの大工方のような花形的存在である。
 20分ほどして燃え盛った頃合をみて、それぞれの大松明に60名ほどの若者が狩俣(かりまた)と呼ばれる長さ3m余の樫の棒で松明を支えながら、右回りに本堂を3周する。難所をクリアした大松明には、その端に子供たちが登る。鞍馬の火祭りと違って、火に対する防備は全くない裸の若者に松明の火の粉が雨のように降り注ぎはじめる頃、祭は佳境に入り、勇壮な炎のページェントが繰り広げられる。火傷が心配されるが、火の粉を浴びるほどにご利益があるという。境内は熱気に包まれ、「オイサッ!ホイサッ!」のかけ声とともに鐘が乱打され、爆竹の音が鳴り響く。

 玉垂宮の鬼夜は、久留米市の大きな行事であり、鞍馬の火祭りと那智の火祭りとともに日本三大火祭りとして全国的に名高い。中でも鬼夜は、締込み姿の若者が煌々と燃え盛る巨大な松明によじ登るさまや、雨のような火の粉を素肌に浴びながら大松明を引き回す光景は、誠に勇壮・豪快で、裸祭りの極致ともいえる素晴らしい夜祭りである。寒い冬であるにもかかわらず、日本男子の裸の美学が鬼夜には残されている。
 古来より現代まで脈々と続いているこの火祭りが国の重要無形民族文化財に指定されている理由は、自明である。これからもこの伝統文化が次の世代に変質することなく継承されていくことを切に願っている
(日本の裸祭り抜粋)