日吉神社

久留米市日吉町106(平成23年8月5日)

東経130度31分7.59秒、北緯33度18分39.15秒に鎮座。

 この神社は西鉄久留米駅の西北西約500m、市街地の真ん中にありながら、樹齢350年以上のご神木・夫婦銀杏や大楠等緑豊かな社地内に鎮座しています。
 社号標「久留米宗社日吉神社」を左に見て鳥居を潜ると正面に神門が見えます。神門を入ると目の前に狛犬が護る唐破風付きの豪華な拝殿、塀内に重厚な本殿が建立されています。社殿左側に廻ると産霊宮や大乗院稲荷神社が整然と祀られ、その他境内には末社が多数点在しています。
 又、全くタイプの異なる3.5対の素晴らしい狛犬達もいて、狛犬ファンにも見逃せない神社です。

 御祭神:大山咋命
 祭礼日:1月3日・産霊宮初産祭、2月節分の日・節分大祭、3月3日・ひな祭り、3月春分の日・春祭(ぎんなんさん)、11月11日・例大祭
 境内社:産霊宮、大乗院稲荷神社、佐田社、天満社、稲荷社、月読宮他
 由緒:古事記上巻に「大山咋神亦山末之大主神此神者坐近淡海国之日枝山亦坐葛野之松尾用鳴鏑神者也」と記され、滋賀県大津市坂本に鎮座の旧官幣大社日吉大社が御本社である。御神名の如く、山、水、木の清浄なるを司り給い、古くは酒造守護、皇城鬼門守護や方除守護神としても崇められ、魔除招福の御神威により万物の生成発展を神助し給う。
 当神社は古記によれば、遠く治承年間西暦1177年頃に現篠山城跡辺りの土豪館内の守護神として祀られていたと伝えられ、以後歴代城主の尊崇を受けてきた。
 正保4年、城郭拡張の必要と藩民参拝の利便を計るため、有馬家二代藩主忠頼公の意によって、現在地に20間四方の社地を定められ、城内二の丸から東久留米地域の総氏神として遷座され東久留米山王宮と呼ばれていた。
 宗社の称は四代藩主頼元公が特に崇敬の念篤く「久留米宗社」と刻んだ御神鏡を奉納したことに依る。
 明治に入り社名を元来の「日吉神社」に改め同6年には、地域町名も日吉町と改称された。

社頭
入口に立つ明神鳥居
社号標「久留米宗社日吉神社」 鳥居に掛かる額
参道の様子
神門
境内の様子
拝殿前、文久元年生まれの狛犬
厳つい顔、筋肉質で力強い体格、前足のズレ、吽の角、阿は垂れ耳・吽は立ち耳など、総ての条件を満たした典型的な筑後型狛犬ですが、尚かつ獅子紋や体毛を表現し、彫りの丁寧さ、バランスなど、私が見てきた筑後型狛犬の中では完成度の高い最高傑作なのでは…と思いました。
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(文久元年(1861)辛酉5月吉日建立)
拝殿
拝殿目貫彫刻・果樹を食するお猿さん
木鼻・獏
拝殿内の様子
拝殿内のなで猿さん
本殿

産霊宮を護る明和8年生まれの狛犬
この地域で全盛を誇った筑後型狛犬の少し前に出現した細身の狛犬です。体型はスマートで滑らか、女性的な感じがしますが、顔つきは結構しっかりして男性的、と言うか叔父さんの様な風格を漂わせています。前足を前後にスライドさせている所が筑後型狛犬と共通した特徴かも知れません。
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(明和8年(1771)辛卯4月吉祥日建立)
産霊宮
社殿にかかる額 社殿内の様子
筑後稲荷10社のうちの一社 境内社:大乗院稲荷神社 入口に立つ鳥居と拝所
(旧久留米藩主が信仰した稲荷社で、明治時代に旧城内から当地に遷された)
大乗院稲荷神社を護る狛犬
耳の造りが反対の筑後型で、体表のざらざら感は体毛を表しています。筑後型全盛時から比べると、力強さが欠け、動物に近い様相を呈しています。
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(大正5年(1916)9月吉日建立)
社殿に掛かる額 社殿
末社:佐田社 末社:天満社
末社:稲荷社 末社
境内社:月読宮
月読宮脇にいる一体だけの狛犬
建立年代は不明で、この辺りでは全く見かけないタイプの狛犬です。今の所この狛犬に一番興味がありますが、未だ九州もほんの一部分しか参拝していない状態なので、もう少し沢山の狛犬を見てからこの狛犬のルーツを考えたいと思います。
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大黒像と石仏 刃物塚

樹齢350年以上のご神木・夫婦銀杏
ご神木・大楠