須佐能袁(すさのお)神社

久留米市草野町草野443-2 (平成30年3月24日)

東経130度38分25.80秒、北緯33度18分56.30秒に鎮座。

この神社は、JR久大本線・筑後草野駅の西南1km程の辺り、草野町草野の街中に鎮座しております。

御祭神 素戔鳴尊・天照大御神・菅原道真公

由緒
須佐能袁神社は呼び名の通り素戔鳴尊を主神としてお祀りしております。須佐能袁神社は、建久8年(1197)平家討伐に軍功があり、源頼朝から筑後国在国司・押領使に任じられていた竹井城主草野太郎永平が京都の八坂神社より勧請し、創建したと言われます。当時、草野祇園社といい、草野家代々の守護神として崇敬厚く奉祀して来たったのです。 後に草野家は発心城に移り、その後下って天正15年(1588)、豊臣秀吉が九州平定の折り、蜂須賀阿波守に命じ草野家の末裔である草野家清を熊本の南関に誘い、家清は誘殺されました。ここにおいて、20余代約400年続いた草野家が滅亡し、代わって草野町民の手により今日まで氏神として奉祀してきました。神仏混合時代には勝光山祇園寺と呼ばれていました。明治に至るまで幾たびか戦火に見舞われたといわれていますけれど定かではございません。
明治4年に神仏分離の政令により、今の須佐能袁神社(通称:ぎおんさん)と称するようになりました。現在の社殿および楼門は、明治14年(1881)春起工し、6年の星霜を経て、明治19年(1886)冬に完成に至りました。現在の社殿、楼門ともには総欅を以って建立されています。また社殿の屋根は総檜葺き、楼門は瓦葺きとなっています。社殿、楼門ともに数えきれない見事な彫刻が施されています。九州には有名神社はたくさんありますけれども、このこれほど社殿および楼門の造りと彫刻の調和がとれた神社は類例がありません。福岡県は昭和32年に本殿、拝殿及び楼門を県の文化財に指定しました。
須佐能袁神社公式サイト より。

神社入口

神額

神橋

神池

神門

神門前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文久2年(1862)壬戌8月吉辰建立)

神門内の木造狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿

本殿


石祠