北野天満宮

久留米市北野町中3267 (平成30年3月24日)

東経130度35分13.00秒、北緯33度20分25.05秒に鎮座。

この神社は、西鉄甘木線・金島駅の東南東1km程の辺り、北野町中の街中に鎮座しております。

御祭神 菅原道真公

由緒
北野天満宮は、菅原道真公を祀った神社でその創立は、天喜2年(1054)後冷泉天皇の御感夢により当地を選び、関白藤原道隆の孫貞仙僧正に勅して、宝殿9間に5間、拝殿11間に9間の社殿を造営され、社殿の廻りには、75ヶ所の末社と28ヶ所の社寺家があり、領田は一千町歩に及び、京都北野天満宮の代官所として華麗を誇った。
その後源平の争乱で社殿は破壊されたが、源頼義、頼朝が社殿を寄進し、足利義満の代になると筑後一円を荘園として認められ、この地方の人には年貢、兵役、人夫等の課税を免ぜられる。
戦国時代、兵火に見まわれ社殿は全焼したが、永正5年(1508)山本郡吉木の城主藤原重永によって再建された。その後天正15年(1587)、豊臣秀吉九州征伐の時、一時社領は没収されたが、承応3年(1654)久留米藩主有馬瓊林が社殿を改築し、明和年間(1764〜1771)楼門が潤色され池や橋の造営により、今日の天満宮の景観ができた。・・・・・・
境内由緒書き より。

境内より300m程西に立つ一の鳥居。三の肥前鳥居はかつてここに立っていたのかも知れません。

神額

参道入口に立つ二の鳥居

神橋

三の肥前鳥居

神門

神門前の狛犬。拡大写真はこちら。

(寛政12年(1800)12月建立)

神門内の狛犬

拝殿

本殿


末社

末社を護る狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

末社

末社を護る狛犬。拡大写真はこちら。

(明治15年(1882)9月吉日建立)

金刀比羅神社

末社

石祠

千灯明祭