鞍手郡鞍手町上木月705 (平成25年12月21日)
東経130度41分32.72秒、北緯33度48分25.50秒に鎮座。
この神社は、JR筑豊本線・筑前垣生駅の南西2km程野辺り、住宅地の中の小高い丘の上に鎮座しております。
祭神 闇龗神・高龗神
由緒
社傳に永祿年間鷹取の城主毛利兵部少輔鎭實(豊後大友氏の幕下にして當郡鷹取の城主なり天正十五年まで在城せりと言ふ)山城國愛宕郡鎭座の式内貴船宮を勧請し社殿を造營祭祀し下流十五六箇村の井手(遠賀川の筋なり)の守護神とせりと言ふ當時造營の棟札寫(棟札は天正年間兵火に罹り焼亡せりと云ふ)に奉献貴船宮本殿一宇云々願主毛利鎭實神主佐野C麻太夫正氏永禄四年八月朔日附記里老の口碑に依れば往古より當所穂掛藪(往昔より秋季祭典に新穀の初穂を本社に捧ぐる例あり故に社地を穂掛藪と唱ふるにやと云ふ)に水神社ありて遠賀郡川筋に於ける當村關係の堤防守護神なりき然るに豊後の大友氏當地方を領するに及び幕下の将毛利鎭實を鷹取に在城せしめ當地方を支配せしむる時鎭實遠賀川沿岸の地年々水害を蒙り年穀の損耗あるを憂ひ山代國愛宕郡の貴船宮を勧請し水神社に合祭し社殿を改造せられたりと言ふ又社傳に本社は往昔神田ありて其寄進状も神社に蔵まりたりしが天正年間(天正八年とも言ふ)今許斐川合戦のとき社殿兵燹に罹りしとき焼亡せりと云ふ。正保三年(社傳書に四年とあるも棟札寫には三年とあり)現今の地今許斐(小字上の屋敷と言ふ)に社殿を造營し穂掛藪より遷座祭祀すと言ふ棟札寫(此棟札も寶暦年間に紛失せりと言ふ)に奉再建貴船宮本殿一宇云々願主氏子村民謹請神主佐野C麻正保三年七月吉日
寶暦十三年三月社殿再建附記口碑に是より先き社殿大破せしも當時民力再建に堪へず依て民家の側に一時假殿を構へ祭祀せしを今年に至り造營せりと言ふ。
明治六年三月幣殿再建す、明治五年十一月三日村社に定めらる。
福岡県神社誌 より
参道入口と一の鳥居
神額
二の鳥居
境内
潰れた顔の大きな目、愛嬌のある狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(明治41年(1908)12月吉日建立) |
先代様のようですが、未だ現役のようです。拡大写真はこちら。 | |
(万延元年(1860)庚申6月吉辰建立) |
拝殿
本殿
末社 | |
御神木