東大野八幡神社

北九州市小倉南区母原花枝55(平成22年4月4日)

東経130度52分2.65秒、北緯33度47分22.25秒に鎮座。

 この神社は、322号線・東大野八幡神社前信号から北東にはいると、すぐ左にこんもりと豊かな鎮守の杜が見えて来ます。社号標と一の鳥居が立つ参道入口から境内までは約200m、樹齢300年を越える桧や杉の聳える参道は、とても森厳な雰囲気に包まれ、長い参道歩きも苦には成らず、かえって森林浴か軽い散歩の気分が味わえます。
 その間、石段参道入口と境内の入り口には玉乗りと浪速の狛犬がいて、それも楽しい気分にさせてくれる一因でした。
 三間社流造りの本殿は欅で組み上げられ様々な彫刻が施されています。その本殿脇には、はじめ進化系の可愛い狛犬もおり、玉垣の外からですが、結構近くから見ることが出来ます。
 その他境内社が数社祀られ、裏参道の椎の原生林奥には御旅所が設けられています。

 御祭神:品陀和気命=応神天皇、息長帯姫命=神功皇后、宗像三姫命(多紀理姫命、多岐都姫命、市寸島姫命)
 祭礼日:1月1日・元旦祭、1月8日・日本の奇祭・尻ふり祭(井手浦地区)、1月中旬(日)・百太夫神社例祭(どんど焼き神事) 、2月3日・節分厄除星祭(鬼追い福餅福豆まき神事)、4月18日・東谷護國神社例祭、5月中旬・祈年祭、7月下旬・夏越祭(茅輪潜り)、8月14日・東谷護國神社 盆慰霊祭、11月2日・宵宮祭(秋季例大祭前夜祭)、11月3日・秋季例大祭(御神幸神事)、11月下旬・新嘗祭、12月31日・除夜祭
 境内社:百太夫神社、大日社、東谷護國神社
 由緒:社記によれば、天智天皇5年(666)二月に高津尾の里降原(現在の郷原)影向石に八幡大神の神霊が出顕。「吾は廣旗八旗神なり」と宮崎守明に神託したとも云われています。
 同年8月大野山上に鎮座大野八幡宮と称し、大野郷(東谷、中谷の全村及び合馬、田代17ヶ村)の産土神と崇む。その後、養老4年(720)秋、始めて放生会あり、大宮司並びに次官十二名供奉云々とあるを以て、当時社頭が盛大で在ったと考えられます。
 天喜3年(1055)、社殿を山本村沼に遷し、沼宮と称されました。享禄5年(1532)、大友氏の兵火に遭い、社殿を悉く焼失しましたが、天文5年(1536)、大内氏が社殿を再建しました。その後、東西大野郷十六ヶ村の産土神となりました。
 寛文7年(1667)丁未衆庶の崇敬によって、現在地花枝山に社殿を建立勧請せられ、以来東大野八幡神社と称し、東谷十ヶ村の産土神と崇められ、また寛延2年(1749)2月20日、小倉城主小笠原忠基公が奉幣し、里人に社殿再建を命じられました。その後小森手永大社となり、明治5年郷社となりました。
(「東大野八幡神社公式サイト」より)

「由緒略」「境内案内図」はこちらで

社頭
社号標 神社入口に立つ一の鳥居
石段参道入口
石段参道入口にいる大正14年生まれの狛犬
大きな玉に乗っていますが、広島型とは違うようです。吽の人の良い叔父さん…みたいな感じが良いですね〜。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正14年(1925)秋月吉日建立)
石段参道途中に立つ二の鳥居
境内まで凡そ200mも続く参道の様子
中には樹齢300年を越える桧や杉の聳える参道は、とても森厳な雰囲気に包まれています。
境内入口
境内入口にいる明治12年生まれの浪速狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治12年(1879)己卯9月吉辰日建立)
拝殿
本殿
本殿目貫彫刻
本殿彫刻類はこちらで
本殿脇にいる始め進化タイプの狛犬
縦置きで阿吽が反対位置に置かれ、吽には角や猫の鬚のようなものが付いています。彫りは浅く、大きなお尻の可愛い子達でした。
狛犬の拡大写真はこちらで
境内社:百太夫神社(猿田比古大神外二柱)
例祭日・1月中旬
境内社:大日社(大日霊女命)
例祭日・5月上旬
猿田比古大神
境内社:東谷護國神社(東谷地区戦没者の英霊)例祭日・4月18日
裏参道(馬場)は椎の原生林で、古くは馬場として氏子崇敬者が馬に装飾をして走らせていたそうです。 裏参道入り口近くに有る「御旅所」
御神木・大杉
樹齢500年を越え、杉の木では珍しく樹が何通りにも分かれている為、
古くから「子孫繁栄・子宝」のの御神徳を頂けると親しまれています。