北九州市小倉南区中貫本町3-1 (令和7年4月4日)
東経130度56分03.33秒、北緯33度48分28.49秒に鎮座。
この神社は、JR日豊本線・朽網駅の西北西1.6km程の辺り、中貫本町の街中に鎮座しております。
御祭神 譽田別尊・息長帯媛命・多紀理毘賣命・市寸嶋比賣命・多岐都比賣命
由緒
当荘八幡神社の沿革を述べますと第56代清和天皇の御宇貞観元年(859)宇佐八幡宮の御分霊を神輿に奉持し京都の男山にお祀りすべく、宇佐の地を出発され、途上貫の庄に鈴石と云う大石が有り一夜此の石の上に駐輿せられました。斯くて貞観2年(860)に神輿は男山に到着され石清水八幡宮の御誕生となった訳であります。これは一重に国家鎮護の目的による創祀であり、飽くまででも神恩奉戴の意であったかに承ります。
此処貫の庄に在りましては、当時貫の領主少弐従五位の下藤原の朝臣石川左近将監直木が自から神主となり宇佐八幡宮大神の御分霊としてお祀りし第57代陽成天皇の御宇元慶7年(883)2月に社殿を造営してお祀りし、貫の庄の鎮守の神と崇め、住民の発展と供にその子孫にしては産土の神と敬い、日に進み月に歩みの興隆に伴い氏の神即ち氏神としての尊崇を昴めつゝ平穏に繁栄の一途を遡って参りました。之れも神恩の然らしむる処と存じ奉るのであります。鎌倉幕府北条泰時公の貞永式目にも神は人の敬いによって威を増させ、人は神の威により運を添うるものなりと。
貞観元年(859)に神輿が一夜駐輿せられて以来1120年の星霜を閲し社殿の創建より1090年の永きを経過しておりますものゝ時として祭祀にも盛衰あり、社殿の修復も度重ねて参りましたことは勿論であります。其の昔足利尊氏公より80町の祭田を献上せられました神社も創祀の頃は鈴石八幡宮と称し、軈庄八幡神社と改称せられ、そして貫の庄が遠く藤原氏の荘園でありました□鑑み荘八幡神社と三度改称せられ近郷の人々より貫の大宮様と尊称せられつゝ明治7年(1874)6月9日には郷社に昇格し、明治40年(1907)3月20日には神饌幣帛料供進神社に指定せられました。
境内由緒書き より。
貫川に架かる御座橋
一の鳥居
二の鳥居
神額
参道
参道左右の狛犬
(平成2年(1990)11月吉日建立)
境内入口
境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(文久3年(1863)癸亥2月建立)
拝殿
本殿
本殿縁側の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
稲荷神社 | 境内社 |
鈴石
御神木