北九州市小倉南区朽網東1-18-8 (令和7年3月30日)
東経130度57分15.34秒、北緯33度47分56.05秒に鎮座。
この神社は、JR日豊本線・朽網駅の南南西700m程の辺り、朽網東の街外れに鎮座しております。
御祭神 大山祇神・高龗神・闇罔象神
由緒
抑、朽網貴船神社の御縁起をおもん見れば、何れの御宇にかありけん此御山の嶺に天降り八尋の殿を造り三神共に住み給うと古きより申し傳えけり。天降り給う御時御船にて風の随に住處求め給うに此山こそ神慮に叶いける霊地ぞ、とてみそなはせ給い御船を留め錨をタブと見いつる木に繋がせ、御手箱より宝の玉をとり出し捧げもち、假の御宮所にみましを安め給うと也。其船こそ年歴の経るまゝに石と成りて今に御社の邊に残り留まれけり。タブの木もその儘残りて栄えけるとなん。宝の玉の箱と申すも朽る事なく、二に分れ石と成りけるにより其石を箱割りといい傳えけり。此事おぼろげの事にあらずとて時の國司より新に御社を造営ありて四時の祭儀厳重に執り行はれけるとぞ。そこより御宮山を玉の丸山と崇め名ずけし霊山也。古来より船の名を呼ぶに何丸といゝ船の神を船玉といへるにより玉の丸山と申し奉き。
古の帝王も此明神を崇め給いて五穀成就の祈祷をはじめ天下に旱魃霖雨の大患あれば先ず此明神を祭りて雨をよび日和を願うこと古昔の通例となす。神道最も第一の秘傳に土金龍雷の名あるも此明神の御徳にもとずける也。至って正直の人には神籤を以て傳うべき事を承りけり。
人皇12代景行天皇の御宇数多の土蜘蛛當國京都郡の岩窟に籠居し屡々出ては人を害す。御在位31年遂に天聴に達し皇子日本武尊に勅し於是に行幸有りて御座を假御宮所に安め豫御祈願。當社に執られ行幸を啓くこと草見浦より起されて遂に此處に至り悉く土蜘蛛を退治玉うと云々而して後草見浦の田地貳何々畝を當社に寄進有りて以て永代の神領と為。今三神と稱すは是也。
爾来社家並に産子輩太鼓鐘笛幟等を以て唄囃神田植苗を致すことは歳毎の佳例也。然りと雖も永禄年中に大友公の奪所となり強神領の年貢を斂めしむ後、遂に常と為る。唯神田植の佳例は今に至りて自若然とも神田も亦終に邑人に属せり。
境内由緒書き より。
参道入口
入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正14年(1925)7月建立)
参道
神橋
二の鳥居
三の鳥居
境内入口
境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(明治15年(1882)壬午正月穀旦建立)
拝殿
拝殿内部
天井絵
本殿
鯛を持っているので恵比寿様か
弁才天
鷹に襲われる猿
境内社
桜