篠崎八幡宮

北九州市小倉北区篠崎1-7-1(平成22年4月4日)

東経130度52分22.56秒、北緯33度51分42.64秒に鎮座。

 この神社は高速4号線・紫川出入り口南に鎮座しています。周囲は篠崎林間公園となっており、緑の多い中、良く整備された大神社です。
 入口には大きな看板と鳥居が立ち、そこから一気に石段が続いて、終点に珍しい両部鳥居風の鳥居門が立っています。そこから更に石段が少しあり、中境内になります。中境内には3対の狛犬がおり、随神門を潜ると境内ですが、更に狛犬が2対、この社には計5対の狛犬が居ました。
 境内正面奥には千鳥破風・唐破風付きの豪華な拝殿が建ち、その奥には流造りの本殿。又、境内には神功皇后に因んだ力石や、境内社の八雲社に縁の蛇の枕石(夜泣き石)、様々な境内社が祀られています。

 御祭神:応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、多紀理比賣命、市寸嶋比賣命、多岐都比賣命、(以上、宗像三女神)、玉依比賣命
 祭礼日:1月1日・歳旦祭(元旦祭)、1月15日・どんと焼き祭、2月3日・節分祭、4月29日・春季大祭、6月1日・月次祭、7月31日〜8月1日・夏越祭、10月第四土・日曜日・秋季例大祭、11月1日〜・七五三祭、11月3日・貴船神社 秋季例大祭、12月31日・除夜祭、毎月1日・月次祭
 境内社:宮地嶽神社・合併社(猿田彦社、金毘羅神社、近江稲荷神社、山ノ宮日開社、淡嶋神社、意業社)、疫神社、稲荷神社、貫神社、加茂宮、幸神社、八雲社(祇園社)、山津見神社
 由緒:神社伝記、小倉市誌によると、仲哀天皇九年熊襲討伐のさなか、天皇は筑前国香椎宮で崩御された。その後、神功皇后が三韓を攻め、凱旋して筑前国宇美で皇子(後の応神天皇)をお産みになった。翌年、穴門(長門)の豊浦宮に向かう途中、鷹尾(高尾)山にさしかかると、山頂の大石に皇子をたたせ、遥かに長浜や文字ヶ関(門司)から穴門の方を望み、「穴門は近し」といわれたという。
 敏達天皇十二年(584年)に勅命によって、この故事に基づき鷹尾(高尾)山の麓の朝倉谷に、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祀り、葛城小藤丸を住まわせて祭祀に当たらせ『篠崎神社』とした。
 天平二年(730年)宇佐八幡宮から分霊を勧請し、『篠崎八幡神社』とした。天平十二年 (740年)太宰少弐藤原広嗣の反乱において、官軍は豊前国板櫃川の東に陣を敷き、大将軍大野東人は篠崎八幡神社にて戦勝を祈願し、みごと、賊軍を敗ることができた。天平勝宝五年(753年)九月太宰少弐藤原氏は、宝剣や神馬を奉納した。
 文徳天皇の嘉祥三年(850年)に鷹尾(高尾)山麓から、当時祇園社があった宮尾山(現在地)を美しき神域なりと社殿をうつした。貞観十二年 (870年)大中臣国雄が筑紫の宗像宮に勅使として下降の時、篠崎八幡神社にも品物を奉納した。(その時の勅使殿があった跡を「皇の使い山」といい、訛って「コフノス山」やがて『鴻の巣』という字名になったといわれている)
 天慶四年(941年)の藤原純友の乱に於いて兵火にかかり、社殿を焼失した。(一説には、文治二年(1186年)社殿を現在地の宮ノ尾に移したともいう)
 貞和三年(1347年《北朝》)三月の棟札に「将軍尊氏造立奉る」とある。また、永正八年(1511年)九月にも本殿造営の棟札があるという。さらに、天正六年(1578年)十一月に大友宗麟の兵火にかかり社殿を焼失した。
 慶長五年 (1600年)細川忠興公は社領二十石を寄せた。元和三年(1617年)三月の棟札に「篠崎八幡宮本殿一宇建立、大懇願主両豊之領主細川越中守朝臣忠興」と記されているとのことである。寛永九年(1632年)小笠原忠真公が、
神殿・拝殿を修造営した。宝暦十四年(1764年)五月の棟札に「篠崎八幡大神祠造営奉る大願主従四位下小笠原左京大夫源朝臣忠総」とある。
 以上、社殿の造営は昭和四十六年の造営を含め、合計七回あったということである。
 当社は明治六年郷社、昭和二年には、県社に列せられた。
(「篠崎八幡宮公式サイト」より)

社頭
神社入口に立つ一の鳥居
享和2年(1802年)歳次壬戌季秋(9月)之吉建立
石段参道の様子
鳥居門
両部鳥居風の門です。珍しいですね。
中境内と境内前の様子
中境内一番手前にいる安政5年生まれの浪速狛犬
口蓋が割れ、ネックレスのように数珠繋ぎに首に掛かる鬣が面白いですね。
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(石工・畑仲八十郎 安政5年(1858)4月建立)
随神門屋根下にいる明治31年生まれの狛犬
吽には小さな突起が付き、鼻の下から耳に架けての鬚が面白いです。この鬚は権威や威厳を現すためなのでしょうが、この狛犬に関してはかえってご愛嬌になってしまいました。
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(明治31年(1898)8月吉日建立)
中境内に立つ社号標 随神門(朱門)
随神門から境内に入るとすぐ居る昭和9年生まれの狛犬
阿は玉取です。誰がこんな悪戯をしたのでしょうか?それとも意味ある風習なのでしょうか?狛犬の口中に石が詰められています。顔はごつく、体には獅子紋が残っています。
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(昭和9年(1934)10月21日建立)
境内の様子
拝殿前、昭和46年生まれのブロンズ狛犬
吽には宝珠がつけられ、厳しく威厳のある狛犬です。
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(昭和46年(1971)10月吉日建立)
拝殿
拝殿内の様子
本殿
力石
蛇の枕石(夜泣き石)
境内社:八雲社
境内社:幸神社
境内社:加茂宮
境内社:貫神社
境内社:稲荷神社
稲荷神社を護る御眷属・お狐様
(石工・田中勝太郎 大正8年(1919)4月建立)
境内社:疫神社
境内社:宮地嶽神社
合併社(猿田彦社、金毘羅神社、近江稲荷神社、山ノ宮日開社、淡嶋神社、意業社)
御神木 神楽殿