到津(いとづ)八幡神社

北九州市小倉北区上到津1-8-1(平成22年4月4日)

東経130度51分23.58秒、北緯33度52分27.31秒に鎮座。

 この神社は高速3号線・下到津出口の南約350m、板櫃川左岸の小丘上に鎮座しています。一の鳥居は神社手前200mに立ち、板櫃川に架かる神橋を渡ると神社入口となります。
 石段の参道を上がると三の鳥居右に市指定保存樹・御神木の大楠が聳え、参道左社務所前には縦置き、直置きの素朴な狛犬が置かれています。手水舎の右にある神池「力の池」には、昔、江戸小石川後楽園にあった石の橋が架けられ、かっぱ明神や末社などが祀られています。
 更に石段を上がると社殿の建つ境内で、中央奥に、狛犬が護る豪華な唐破風付きの拝殿、幣殿、本殿が、厳かな姿を見せています。境内右には神輿蔵、境内社などが点在し、右奥にあたる北参道入口には狛犬と鳥居が建立されています。
 規模の大きな神社で、参道、境内、社殿、境内社などがとても良く整備・清掃され、鎮守の杜も豊かで、清々しいの言葉がピッタリとした気持ちの良い神社でした。

 御祭神:応神天皇、神功皇后、多紀理比賣命、多岐都比賣命、市寸嶋比賣命、豊日別命
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、1月中旬・どんど焼き祭、2月3日・節分祭、2月最初の午の日・初午祭、5月4・5日・春季大祭、5月中旬〜6月中旬・敷地祓神事、7月31日・8月1日・夏越祭(茅の輪 万燈会)、9月26日・27日・島の祭り、10月14日・15日・秋季大祭、11月9日・若宮祭、11月・七五三祭
 境内社:勘定・錦春稲荷神社、若宮神社、貴船神社、水神社
 由緒:神功皇后が三韓征伐の後、宇美の里で御子応神天皇をお産みになり豊浦宮へお帰りの時、御座船を当地に着けられました。後に一祠を建て皇后の和魂をお祀りしたのが当社の起源といわれています。
 神功皇后が、この川の水を汲み産湯に使ったことから、人々は安産を願うようになりました。現在、この川は板櫃川という名称ですが、別に「産川」(ウブカワ)とも云います。また、川の付近には「産川町」という町内もあります。
 文治4年(1188年)宇佐八幡大神を勧請し、祭祀には宇佐の支族が任ぜられました。永禄4年(1561年)大友義鎮が宇佐宮を攻め廟社堂一宇も残らず焼きはらいました。やむなく、宇佐宮の神官・社僧は神輿を守護し奉り、天正11年(1583年)までの23年間、神璽を到津社に遷座しました。以後、細川氏・小笠原氏の篤い崇敬を受け社殿等の改築がなされ、現在に至っています。
(「到津八幡神社公式サイト」より)

神社手前200mに立つ一の大鳥居
板櫃川に架かる神橋と社頭
社頭に立つ二の鳥居
石段参道
参道途中、社務所前に立つ三の鳥居
社務所前に居る可愛い狛犬
縦置き、直置きです。まん丸の大きな目玉に団子ッ鼻、たらこ唇の面妖な面立ちですが、何故か愛嬌があり可愛く思える狛犬です。姿形はこの時代としてはとても素朴な造りです。
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(明治29年(1896)2月建立)
市指定保存樹、御神木・大楠
社伝によると、樹齢は600年を超えているようです。この楠、土の部分から枝までがかなり低いのですが、その昔、神社の石段を作るときに約3m弱埋めているそうです。
三の鳥居後ろにいる建立年代不明の江戸流狛犬
九州の地で、江戸流に出逢うとは思ってもいませんでした。上体が逞しく猫背気味、毛の流れはスムースですが、やや彫りが浅いような気がします。
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神池「力の池」
元江戸小石川後楽園にあった
石の橋が架けられています。
かっぱ明神
水を司る神様として、以前は小倉南区の
菅生の滝付近に祀られていました。
「力の池」近くに祀られる末社二社
「力の池」北に置かれている先代のお狐様
(天保11年(1840)庚子9月建立)
社殿の建つ上の境内入口
境内の様子
拝殿前、明治31年生まれの狛犬
上から目線で参拝者を見る、若々しい狛犬です。
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(明治31年(1898)3月建立)
豪華な唐破風付きの拝殿
幣殿
本殿
拝殿前にいる「子守犬」 境内社:若宮神社
境内社:貴船神社 境内社:水神社
境内社:稲荷神社
小倉城内勘定所の守護神「勘定稲荷神社」と、水戸徳川家の江戸屋敷内・錦春門に奉られた「錦春稲荷神社」を合わせ祀っています。
稲荷神社鳥居後ろにいる昭和8年生まれのお狐様
(昭和8年(1933)12月吉日建立)
稲荷神社参道と社殿
神輿殿 猿田彦大神碑
北参道入口にいる昭和9年生まれの狛犬
吽は小さな玉に手を掛け、威厳のある造りの良い狛犬です。
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(昭和9年(1934)2月吉日建立)
北参道入口