足立山妙見宮(御祖(みおや)神社)

北九州市小倉北区妙見町17-2(平成22年4月4日)

東経130度54分17.32秒、北緯33度51分33.75秒に鎮座。

 この神社は264号線・黒原信号を東に入り、突き当たりを右に折れ坂道を上がり、最初の分岐を左に取ると右側に鎮座しています。
 社号標、鳥居の立つ入口から石段を上がると、狛猪のいる中境内となり、一息入れてから注連柱の間を通って境内へと上がります。
 境内入口には安政6年生まれの浪速狛犬がいます。唐破風付きの拝殿前には足の神様らしく草鞋の健脚守が願いと共に奉納されており、煌びやかな拝殿内には色鮮やかな木製神殿狛犬がいました。背後に廻ると末社群の中に流造りの本殿が建立されていましたが、右側の崖が崩れ、ただ今末社付近は補修中でした。此処にも可愛い狛犬が居ます。
 その他境内には稲荷神社が三社祀られ、神仏混交の名残からか右奥には薬師堂が残されています。堂内には室町時代の作と言われる虚空蔵菩薩、阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来の古い仏像4体のほかに2体の仏像が置かれていました。
 今回は行かれませんでしたが、神社背後の足立山(標高597.8m)山頂には上宮が鎮座しています。

 御祭神:天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、鐸石別命、和気清麻呂公
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、1月15日・成人祭、2月3日・星祭節分祭、2月初午日・初午祭、2月21日・和気公祭、3月・敷地祭、4月15日・春季祈念大祭、7月31日〜8月1日・夏越大祓式、11月1日〜・七五三詣、11月中旬・秋祭(新嘗祭)、12月31日・大祓除夜祭、毎月1日・月次祭
 境内社:大学稲荷、高倉稲荷、玉姫稲荷、龍神水神
 由緒:妙見宮の歴史
西暦769年  称徳天皇の神護景雲三年(西暦769年)太政大臣法王弓削氏道鏡が皇位につくのが相応しいというお告げが出た。それに疑問をもった朝廷が和気清麻呂公(以下、公)に勅命をだし、神のお告げが本当であるかを確かめる為、宇佐神宮へ行くよう命じた。その結果、「道鏡は、皇位に相応しくない」というお告げが出た事を朝廷に報告すると、それに怒った道鏡は、公を鹿児島に追放しようとした。その途中、豊前のすわえ田村に漂着した公は、道鏡の追っ手から足の筋を切られるが、数百頭の猪が公を助け、再度、宇佐神宮に詣り神告を受けた。その神告に従い公は、現在の小倉北区湯川にあった霊泉につかると、たちどころに足の傷が治った。そこで、公は、近くの足立山に登り、造化神北辰尊星妙見に天皇の安泰と反逆者がいなくなることを祈った。すると、造化の天神が現れ『汝の願い聴きいる』という神託をうけた。
西暦770年  光仁天皇が即位し、天皇家は、安泰となった。また、道鏡は、下野国に流され、公は、平城の京に呼び戻された。公は、四男磐梨為綱(出家して妙運)を造化天神降臨の地、足立山に送り、足立山妙見宮を創建した。
西暦772年  国司、大伴百世の助けで、葛原峰が坂の足立に下宮、足立山平癒寺を建立した。
西暦817年  公の三男参議真網卿が、宇佐に勅使として参った帰り、下宮に清麻呂公と祖先の神霊を祀った。
西暦853年  藤原良房(804〜872)が、虚空蔵、釈迦、薬師、阿弥陀の仏像四体を妙見宮へ寄進した。その他、大日不休息の仏像二体が、現在隣接する薬師堂にある。
西暦947年  村上天皇の勅願所となった。
西暦1174年〜1552年  古鏡が埋蔵される。
西暦1520年ごろ  後柏原天皇より「うら菊」の紋章を授かる。この紋章は、全国神社の紋章としては妙見宮だけのもの。この紋章は和気氏の流れ、和気明親が後柏原天皇(1501〜1526)から、和気氏の家紋として頂いた物である。従って和気氏と同じ流れの妙見宮の杜家が、これを神社の紋章として使用した物である。
西暦1601年  下宮を現在の場所に移した。細川忠興が、眼病平癒を祈願し、この成就により妙見宮下宮を現地に移して鎮祭した。 その際、日向から取り寄せた松を植樹している。
西暦1795年  小倉藩五代藩主小笠原忠苗が足立山山頂の妙見神社に参拝したおり、家臣がお茶の用意にと同社の後ろを掘ったところ、古鏡が出土した。出土した古鏡は、九面あり、湖州伝々の銘のある古鏡六面、流水飛鳥や梅鳥のある古鏡が三面である。なお現在古鏡は、 市立自然史・歴史博物館(いのちのたび博物館)に寄託されている。
西暦1827年  妙見宮の桜香神苑に秋山光彪の歌塚が建設され、現存している。北九州市指定文化財
西暦1870年頃  平癒寺を御祖(みおや)神社と改称する。
西暦1945年  足立山妙見宮を再称、かつ、全国妙見総本宮と追称し、現在に至る。
西暦1953年  妙見宮境内に津田三代吉、米谷勘吉両名の敬神的協力によって1929年に建設された「猪に乗る和気清麻呂公の銅像」は、1944年の銅鉄回収を受け除去され、そのままとなっていたが、再び、米谷勘吉、津田金治、山田一次氏らによって石像として改造され現在に至っている。
(「足立山妙見宮公式サイト」より)


社号標 神社入口 明神鳥居
石段の参道
中境内の様子
中境内にいる狛猪
(平成7年(1995)1月吉日建立)
境内への石段参道
境内入口にいる安政6年生まれの狛犬
浪速系ですが、とても整った良い出来の狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(安政6年(1859)己未5月吉日建立)
拝殿
流石、足の神様です、拝殿前には草鞋の健脚守が願いと共に奉納されています。
拝殿内の様子
拝殿内にいる色鮮やかな木製神殿狛犬
流造りの本殿
境内社:大学稲荷
社殿左の末社:左から
日吉神社、白山龍王社、水神社、山之神社
社殿右の末社:左から
?社、貴布禰神社、五社神社、水神社
社殿左右の末社を護る建立年代不明の浪速狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
境内社:高倉稲荷
境内社:玉姫稲荷
玉姫稲荷入口にいる昭和2年生まれのお狐様
(昭和2年(1927)11月建立)

神仏混交の名残が強い此の社の右奥には薬師堂が残されています。
薬師堂入口とお堂
堂内の仏様達
室町時代の作と言われる虚空蔵菩薩、阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来の古い仏像4体のほかに2体、合計6体の仏像が置かれています。
観音像 地蔵尊