熊野・八坂神社

糸島市有田562-2(平成22年4月5日)

東経130度13分18.95秒、北緯33度32分19.05秒に鎮座。

 この神社は筑前前原駅の南東約2.6km、564号線沿いに鎮座しています。
 564号線の拡張工事のため神社の前は削られ、玉垣や境内社が新しく造成されていました。境内までは石段の参道が続きますが、参道脇や斜面には桜や躑躅が植えられ、緑の中にピンクや赤のお花の色が浮き出て見えました。
 境内入口には一見江戸時代初期に作られたような、でも本当は天保4年生まれの胴長狛犬がおり、ビックリさせられました。境内奥には、双殿造りと呼ばれる、2つの社を1つの拝殿で繋ぐ珍しい形式の拝殿が建ち、その後ろにはそれぞれの本殿が建立されています。又、拝殿前にはとても堂々とした狛犬が居ます。

 御祭神:伊邪那岐命、事解男之命、速玉之男命(熊野神社)、速須佐之男尊(八坂神社)
 祭礼日:7月15日(八坂神社)、10月17日(熊野神社)
 境内社:塞ノ神
 由緒:熊野神社の由来
 古くより熊野三社権現社と云って、有田の産神である。神仏混淆で境内に阿弥陀堂があり社僧石橋坊が奉祀していた。永禄12年(1565)将軍足利義昭の代、当時怡土城主原田隆種公の発願により有田領主に命じて建立せしめ、更に天正12年(1584)再建し熊野神社とする。
 原田家隆盛の昔は祭礼も盛んで、前原海岸まで神幸が行われていた。今も前原上新町に権現汐井浜と刻んだ石碑がある。
八坂神社の由来
 安政2年(1855)徳川13代将軍家定の代、当時夏の疫病流行し病没する者多数にして困窮の極に達す。時の有田庄屋は豊前国中津奥平公に助けを求めて医師及び薬品の応援を受く。後に厄よけ病魔退散を祈願し、中津八坂祇園宮より分神を奉じて祭神とする。

社頭
神社入口に立つ注連縄の架かった注連柱と一の鳥居 鳥居に架かる額
「熊野神社」
参道右側に祀られる境内社:塞ノ神
石段参道の様子
参道途中に立つ二の鳥居
境内まで続く石段参道
境内入口にいる天保4年生まれの狛犬
この狛犬には前脚や胸に建立年など色々な文字が彫られていますが、かろうじて「天保4年」だけが読み取れました。この様に胴長でのっぺりした狛犬は、関東地方などでは、室町時代から江戸時代初期にかけての制作が殆どですが、この地では江戸時代後期になっても作られていたことに大変な驚きを覚えました。地域格差というものが此処まであるとは…狭いようでも日本は広い…と、改めて感じました。
狛犬の拡大写真はこちらで
(天保4年(1833)建立)
境内入口に立つ三の鳥居
境内の様子
双殿造りと呼ばれる、2つの社を1つの拝殿で繋ぐ珍しい形式の拝殿。
向かって左・熊野神社、右・八坂神社
拝殿前にいる建立年代不明の狛犬
均整がとれたスタイルで、胸を張り背筋を伸ばした姿は、とても堂々としています。
狛犬の拡大写真はこちらで
双殿造りの向かって左側は、熊野神社の拝殿です。 拝殿内に架かる額
熊野神社本殿
双殿造りの向かって右側は、八坂神社の拝殿です。 拝殿内に架かる額
八坂神社本殿
境内に咲く桜