大祖神社

糸島市志摩芥屋675 (平成30年1月6日)

東経130度06分40.89秒、北緯33度35分28.52秒に鎮座。

この神社は、糸島市役所の北西8km程の辺り、玄界灘に突き出た芥屋の大門公園内に鎮座しております。

御祭神 伊邪那岐大神、天照皇大神、伊邪那美大神、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、玉依姫命、草野姫命、底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命、神直日命、大直日命、八十枉津日命

由緒
創立年代詳ならず、社伝に祭神伊邪諾尊、伊弉册尊、天照大神、月讀尊、蛭子尊、素盞嗚尊にして神代よりの鎮座と傳ふれども今其沿革詳ならず又一説に伊邪那岐神、伊邪那美神、天照大神、月讀神、蛭兒尊、素盞嗚命を奉祀すと云へり、然ども今齋祭する所は三座なり。
往昔本社に奉仕寺院二ヶ寺あり大日寺善福寺と云へり然ども建治年中大日寺は當郡泊村に善福寺は岐志村に移れり、其後今社邊に残れり、而して大日寺は既に廃絶して今僅かに一小堂宇を存せり善福寺は後又芥屋村の字東に移り建治寺と称し曹洞宗に属し現存す。
文明13年(1481)社伝再興す棟札に大檀那甲斐秀久とあり。
天正12年(1584)7月社殿再興す棟札に大檀那大藏朝臣原田了榮再建すとあり。
其他 應安4年(1371)(附記、慶安四年は所謂北朝の年代なり、吉野朝の建徳2年に當る)以来代々相継て改造の棟札を存す文久3年(1863)社殿改築す、現今の社殿是なり従前境内560坪宮山凡方三丁ありしも地租改正の際境内277坪のみとなれり、明治5年(1872)11月3日村社に被定。
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、玉依姫命、草野姫命、底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命、神直日命、大直日命、八十抂津日命の十二祭神は同大字濱無格社、綿積神社として祭祀ありしを明治44年(1911)8月17日合併許可同大字々西無格社産屋神社とし
て祭祀ありしを同年同月同日合併許可祭神彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊にして同一祭神に合靈せり。
社説に曰く、舊記に此の地は伊弉諾神禊祓の靈跡にして當時より鎮座し給しと伝え、國主領主の崇敬篤かりしと云ふ。文明12年(1480)(附記、明細帳には13年と記す)大檀那甲斐秀久再興の棟札今に存せり。嘉永7年(1854)8月神殿神庫焼失して寳物古文書等皆烏有に歸したりしは惜むべし。承和元年(834)(千百年餘前)奉獻になる石灯籠現存せり。
聖武帝の時宮殿の左右に大日寺善福寺の二堂を置けりと云ふ大日寺は泊村に遷し、善福寺は建治年中村中に遷せしより建治寺と改称す。
社の北に當りて亘厳海中に突出し、北方に口を向けて一洞あり、此て即芥屋大門にして大門神社を祀れり。
福岡県神社誌 より。

神社入口

鳥居

神額

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正7年(1918)4月建立)

拝殿内部

本殿覆屋

本殿正面


末社

海岸に立つ大門神窟鳥居

神額

突端を廻りこんだ先に芥屋の大門はあるようです。