生松天神社

糸島市志摩久家2813 (平成30年1月6日)

東経130度08分01.46秒、北緯33度33分13.88秒に鎮座。

この神社は、糸島市役所の西6km程の辺り、船越湾の北側近くに鎮座しております。

御祭神 菅原道真公

由緒
社伝に曰く「後一条天皇寛仁3年(1019)南蛮(刀伊)の海賊入寇し、若き男女を犯し且つ金穀を奪取す、因って当神社を勧請し、賊徒退散を祈願し、弓矢を奉納す。今に12月15日たずの弓に白羽の矢を宮座当番より各3組を作り奉納す。これその前例に因るものなり。」とある。
往古は浦(久家地区)の南の海岸沿いに鎮座したが、江戸後期文政6年(1823)現在地へ遷座される。
神宝に石玉ありといわれており、御神体を収めた箱の蓋に「享保壬子17年(1732)2月8日八大竜王磯取揚」との書があり、龍王宮、現綿積神社(船越竜王崎鎮座)前の磯から取上げ、納められたことがわかる。この御神体(神宝)のことは夙に世に知られ、江戸時代後期の福岡藩の著名な国学者、青柳種信の「筑前国風土記拾遺」にも「色浅青にして形西瓜の如し。水に浸せば、光沢ありて鑑むべし。」との記載がある。
一説には漁夫が平戸の海中に光るものを見つけ、珍しきものなりとて持ち帰ったものともいう。(「同付録」福岡藩士加藤一純著)。
神社名は「生松」と「老松」を交互によく変わっており、老松神社の扁額も幣殿に掲げてある。生松天神社→老松天神社→老松神社→生松天神社→老松神社→生松天神社(現在)・・変遷の理由は不明。
境内由緒書き より。

参道入口

参道

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(天保13年(1842)壬寅正月吉辰建立)

拝殿内部

本殿覆屋


稲荷神社

秋葉大権現