綱分(つなわき)八幡宮

飯塚市綱分866-1 (平成22年4月4日)

東経130度44分0.76秒、北緯33度37分56.28秒に鎮座。

 この神社は飯塚市役所支所東に鎮座しています。
 入口には「郷社綱分八幡宮」「縣社綱分八幡宮」の二基の社号標が立ち、この社の旧社格の歴史を偲ばせます。一の鳥居、注連柱、二の鳥居を経て境内にはいると、先ず目に付くのがややデフォルメ化した狛犬。灯籠が建つ参道を進むと、右手には御旅所らしき祭壇、突き当たりの石段の上には忠魂碑や軍人祈念碑が立てられています。
 圧巻は左手の鎮守の杜です。小山のような大きな森の中央に上の境内へと上がる石段参道入口があり、玉垣の奥に三の鳥居が立ち昭和3年生まれの狛犬がいます。ゆっくりと石段を上がると、境内入口には注連柱が立てられ、参道奥に大きな妻入りの社殿に唐破風が付けられた拝殿が建ち、破風下の彫刻も木鼻も翼竜という珍しく手の込んだ彫り物が施されていました。大きな流造りの本殿左右脇には、鳥居と板塀で区切られた境内社が祀られ、それもこの社の格の高さを示しているようで、細やかな心遣いに感心させられました。

 御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
 祭礼日:10月第2土曜日
 境内社:貴船社、若宮、天満宮、須賀宮
 由緒:往古神功皇后、新羅より帰らせ給い、その年12月14日、粕屋郡蚊田(現、宇美)村にて誉田皇子(応神天皇)を生まし給ふ。
 明年辛巳歳春2月京に帰り上らせ給わんとて、皇子をたずさえ蚊田村より大口の峠を越させ給い、穂波郡に出させ給う。それより嘉麻郡にうつらせ給い、金石山の麓金丸村(現綱分)の清地に御輿をとどめさせ給ひ、皇后勅曰く、「吾この度三韓を隨え筑紫をおさむ、猶又婦女のただならぬ、身につつがなく皇子やすらかに生させ給う事偏に神の力なり。然れば此所に於て天神地祇を祭り報賽の幣帛を奉らん。」と則武内宿禰に命じて神祇を祭らせ給う。この時神霊となりし三振の宝剣その他種々の神宝又蚊田村にて、安産のまじないなればとて、槐の枝にかけ給ひし御産の綱を分て、この斎場に納めさせ給う(よって綱分の号ここに起こる)。
 かくて皇后群郷及百寮をひきいて京に帰り上らせ給う。それより御代々を経ぎ人皇45代聖武天皇神亀年中に至りて、郷人いにしへよりの伝説にもとずき八幡宮を祝い奉らんと宮所を定め、その地を改めしに三つの瓶を掘らせり。内に三振の宝剣(皇后神祇を祭らせ給いし時神霊となりし宝剣)あり、則八幡宮三所(応神天皇・仲哀天皇・神功皇后)の御神体として、初めて祝い祭り奉る綱分八幡宮是なり。
(「平成祭データ」より)

 創建は神亀2年(725)と伝えられ、筥崎八幡宮や大分八幡宮と並ぶ由緒ある神社で、隔年毎秋に行われる放生会御神幸祭は県無形民俗文化財に指定されています。

社頭
二基ある社号標
「郷社綱分八幡宮」「縣社綱分八幡宮」
「庚申」碑、「猿田彦大神」
神社入口に立つ一の鳥居
下の境内入口に立つ注連柱
下の境内入口近くに立つ二の鳥居
二の鳥居後ろにいる建立年代不明の狛犬
上向きで垂れ耳、提灯袖の服を着ているような前脚が面白いですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
参道の様子
豊かな鎮守の杜と下の境内全景
御神木 下の境内右側に設置されている御旅所?
上の境内へと上がる石段参道入口に立つ三の鳥居
三の鳥居前にいる昭和3年生まれの狛犬
この地域特有の、吽の前脚下に玉があります。全体的な姿が整った良い造りの狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和3年(1928)9月足日建立)
石段参道
上の境内入口に立つ注連柱
境内全景
拝殿
唐破風下の彫刻・翼竜
木鼻・翼竜
流造りの本殿
境内社:若宮、貴船社入口と額
社殿
庚申青面金剛 石碑
境内社:天満宮、須賀宮入口と額
社殿
御神木 御神木
忠魂碑 軍人祈念碑