椿八幡宮

飯塚市椿352(平成22年4月4日)

東経130度39分49.16秒、北緯33度36分52.05秒に鎮座。

 この神社は穂波西中学校の北約200mに鎮座しています。一の鳥居は60号線に立ち、その西100m程の処に参道が続きますが、参道入口の石の太鼓橋が架かっている二の鳥居から境内まで桜並木が続き、花びらの舞い散る中の参道歩きはとても気持ちが良く、リフレッシュ出来ました。
 その参道途中に二対、境内に二対、又、隠居の先代さんもいて、様々な狛犬の組み合わせも楽しめました。
 境内中央奥の唐破風付きの落ち着いた拝殿には、円形の注連飾りが付けられ、眼を引きました。拝殿後ろには大きな流造りの本殿が建立され、境内社も三社祀られています。

 御祭神:品陀別命 (第十五代應神天皇)、息長足姫命(神功皇后・應神天皇御生母)、武内宿祢命(神功皇后付き人)
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、10月第2土曜日・秋季例祭
 境内社:安藝殿宮、八幡稲荷宮他
 由緒:神功皇后が新羅、百済、高句麗よりの帰途この地に立ち寄られ、その折り堅い木で作られた御剣の鍔を奉納され、日本の平和と繁栄を祈願された所と伝えられており、これにより「ツバキ」(椿)の名が起ったといわれています。
 当社は、寛平9年(897)勅命により当時九州の政治外交を司った大宰府政庁が創建し、穂波新宮と云われ、椿庄の惣社として氏子はもとより広く朝廷幕府の崇敬厚く、政庁の官人等も礼を尽くして参拝していたと云われています。これが「椿八幡宮」の起こりです。
 その後、幾度かの再建、再興がなされ現在に至っていますが最盛時には穂波郡全村を管轄していたと言い伝えられています。

60号線に立つ一の鳥居 社号標「史跡穂波新宮」
一の鳥居左側に祀られる安藝殿宮
社頭
石の太鼓橋が架かっています。
参道に立つ二の鳥居
参道の様子
参道途中にいる昭和5年生まれの狛犬
胡座をかいたような鼻と平歯のすきっ歯がご愛嬌の浪速で、鬣や尾のボリューム感がすごくありますね。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和5年(1930)2月吉日建立)
参道に立つ三の鳥居
参道の様子
境内入口と四の鳥居
参道・境内の様子
境内入り口近くにいる大正13年生まれの狛犬
起立と構えの一対です。大きな顔と逞しい胸板で、こんなに重い上半身でありながら、どうして長時間起立させていられるのか不思議な狛犬です。雌雄の別も付けてあります。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正13年(1924)1月26日建立)
境内の様子
拝殿脇にいる昭和11年生まれの狛犬
玉取蹲踞と構えの一対です。阿は出雲型、吽は北九州型の組み合わせで、顔つきはライオンのようです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和11年(1936)7月吉日建立)
拝殿
拝殿に掛かる注連縄
この様な注連飾りは始めてみました。珍しいですね。
大きな流造りの本殿
境内社:八幡稲荷宮
境内社 境内社
御神木裏側で横になって休まれていた先代さん。
境内に「慶応3年」という台座があったので付近を探したところ、御神木裏にこの先代さんを見つけました。多分、倒立と起立の一対だったと思われるのですが、ここまで欠けてしまっては定かではありません。
御神木