嚢祖(のうそ)八幡宮

飯塚市宮町2-3(平成22年4月4日)

東経130度41分12.54秒、北緯33度38分16.02秒に鎮座。

 この神社は飯塚小学校の北東約400mに鎮座しています。
 大きな社地には三本の参道があり、中央が表参道となっています。表参道を上がると風格漂う随神門が建立され、随神門裏側には、彩色が良く残る精悍な狛犬がいます。
 真っ直ぐ伸びた参道奥には妻入り唐破風付きの拝殿が建ち、木々の中に神明造りの本殿が厳かに建立されています。
 横に広い境内には、社殿左右に境内社が点在し、特に北参道から上がって境内を通り越して尚も上に鎮座している若光稲荷神社は、境内社といえないほどの規模を持っています。
 又、この社には狛犬が五対、お狐様が三対+一体居て、じっくりと時間を掛けて参拝したい神社です。

 御祭神:應神天皇、天神地祇(嚢祖神)、配祀:仲哀天皇、神功皇后、武内宿禰
 祭礼日:毎月1日・月次祭、若光稲荷月次祭、2月3日・節分星祭、5月第2日曜日・人形感謝祭、6月30日・夏越大祓い
 境内社:若光稲荷神社・祇園宮・天満宮・志賀神社・大神宮・住吉神社・水守神社・産乃宮・十日恵比寿社・三日恵比寿社
 由緒:旧社格は県社、現在は神社本庁の別表神社。旧称納祖宮です。飯塚の鎮守として崇敬され、また子守りの神としても信仰されています。
 神功皇后が三韓征伐からの帰途、納祖の森に祭壇を設けて天神地祇を祀り、長年つき従った九州の臣たちと別れを惜しんだと伝えられています。このとき、人々が「またいつか尊顔を拝し奉らん」と口々に言い、この「いつか」が「飯塚」の名の由来であるといわれております。
 社伝では、その跡に作られたのが当社であるといいます。
 創建年代は不詳ですが、延文4年(1359年)には社殿が建立されてました。
 大正13年に県社に昇格しました。
(「嚢祖八幡宮公式サイト」より)

表参道入口
表参道石段途中にいる狛犬
実に堂々とした狛犬ですが、阿の上顎が欠け、剥離が酷くなっています。
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随神門
随神門境内側にいる神門狛犬
彩色が良く残る、精悍な狛犬です。鬣や尾、脇毛などが深く彫られボリュームがあり、吽には獅子紋も有ります。
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参道・境内の様子
拝殿前、昭和35年生まれの狛犬
玉乗りで、古武士のような風格が感じられます。岡崎現代型が一世を風靡していたこの時代に、福岡では未だこんな狛犬が彫られていたのですね。立派です。
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(昭和35年(1960)10月吉日建立)
拝殿
本殿
境内社:天満宮?
筆塚 境内社:十日恵比寿社・三日恵比寿社
境内社:祇園宮
「須佐宮」と書かれた鳥居が立つ北参道途中にいる狛犬
境内の玉乗り狛犬と奉納時期が同じです。顔つきも似ていますが、石工さんが同一人物なのでしょうか?
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(昭和35年(1960)10月吉日建立)
北参道を上がった境内にいる狛犬
建立年代は不明です。筋肉質の良さそうな狛犬ですが、摩耗が進んで、細かなところは見えづらくなっています。
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境内社:志賀神社
境内社:大神宮
境内社:住吉神社
境内社:水守神社
境内社:産乃宮
境内社:若光稲荷神社 参道
若光稲荷神社社号標
社号標奥にいる神使い・お狐様
ふくよかで優しそうな狐さんです。
(昭和49年(1974)建立)
若光稲荷神社参道と境内入口
若光稲荷神社社殿
社殿内の様子
社殿内奥にいる銀狐さん
社殿内手前にいる黒狐さん
知的でたおやかで優しそうな、素晴らしい狐さんです。
祈願殿入口にいる
袴を履いたお狐様
絵馬