彦穂神社

飯塚市口原590 (令和7年4月2日)

東経130度42分48.99秒、北緯33度40分44.80秒に鎮座。

この神社は、JR筑豊本線・鯰田駅の北北東1.5km程の辺り、口原の街中に鎮座しております。

御祭神 彦火々出見命

由緒
本社は寛喜元年(1229年鎌倉時代前期)当時鞍手郡磯光村天照宮の神領地であった為、天照宮大宮司幸眼が当村の神屋という所に神社を勧請したのが始まりです。(旧御神体の台座に、寛喜元年草造之狩子八幡宮・・・とある為、当時の本社の名は狩子八幡宮と称していた)
その後、元享年中(1321年~1324年 鎌倉時代後期)火災により焼失し、正中年間(1324年~1326年)今の地に社殿を造営し今日に至っている。
応永19年(1412年室町時代中期)の古文書には口原村狩子大明神とあり、また貞享2年(1685年 江戸時代中期)の神殿再建棟札にも狩子大明神と記してある。しかし、享保13年(1728年江戸時代)の鳥居建設の銘には彦穂神社と記してある為、本社は当初狩子八幡宮と称し、その後、狩子大明神 後、彦穂神社と称している様です。
いずれにしても、1229年(鎌倉時代)より口原地区の守り神として今日に至っている。
境内由緒書き より。

一の鳥居

神額

神社入口

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文久3年(1863)癸亥6月吉辰建立)

本殿

本殿左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)


大行事神社

社殿内の石碑

石祠

御神木