大森神社

福津市上西郷802 (平成30年1月4日)

東経130度30分35.31秒・北緯33度45分05.53秒に鎮座。

この神社は・福津市役所の南東2km程の辺り・福津市総合運動公園「なまずの郷」の北西近くに鎮座しております。

御祭神 伊弉諾命・伊弉冊命・事代主命・水象女神・大山祇命・石長姫命

由緒
右、主祭神六柱の神の内
右記御祭神は、往時よりの御鎮座、飯盛社、小盛社、西塔田若宮社の御祭神也。
左記御祭神は、嘉元2年(1304)甲辰3月社職の河津駿河守藤原重房、本国産神、伊豆権現、箱根権現、三島明神の三社の御祭神を合斎せしと傳たり、此の六柱の大神を合斎せしを以て俗に大守六社宮と稱号し、郷民の鎮守様と尊崇する皇神是なりと云う。
飯盛、小盛、西塔田若宮三社は宗像神社七拾五社の一也とあり、往時は御神田四拾四町餘あり、社運も豊かに年中祭事も盛大なり、御奉賛の儀も嚴しく斎行の趣宗像社記に詳しく記されたり。
応仁(1467〜1468)、文明年間(1469〜1486)に渉りし應仁の乱興り、たまたま往時、河津民部少輔藤原興光武職、社職兼任の責を以て、大内家の命をうけ山城国舟岡山の合戦に参加せし砌り不覚にも吾が身に深手を負ひ困迷傷心の態となり、たまたま戦場と本陣との間に大河あり、渡る事を得ず危機に面したり。
其の折、河西の大鯰背に鞍を置き出現いたし、興光速やかに乗移り対岸の本陣に無事帰参。家臣の手厚き看護を蒙り一命を得たりと。
其の後、何者たりかを尋ねども知れず、大森六社宮の御祭神の権化なると覚とり鯰魚は使神なりと尊崇せり。以後、蓑生郷の産子、なまず喰する事なしと云う傳へ也。
境内由緒書き より。

参道入口

なまず池に架かる御神橋

境内

拝殿

狛鯰

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(元治2年(1865)乙丑3月吉日建立)

拝殿内部

本殿


西嵜神社 天満宮

荒五郎社・三島神社・諏訪神社・若八幡宮・神武神社・熊野神社・小烏神社・龗神社

河津民部少輔藤原興光と鯰