宮地嶽神社

その他末社等

須賀神社

六社神社

水神社

お焚きあげかまど

夫婦円満陰陽石

地蔵尊

六百俵の碑

徳川時代の半ば頃まで、ここ宮司村は、砂混じりの痩せた農地が多く、常に水不足に悩まされるなど、農家は苦しい生活をせまられていまた。
しかし、村民はお互いに助け合い、農業のほか、わら細工製造等に励むかたわら、11才以上の村民総出で溜池(林口池)を造って水不足の解消に努め、年貢米はいつも一番に納めたとのことです。
また天明5年(1785)の大飢饉のときも、宮司村だけは年貢米の返上を願い出ず完納しました。
このようなことから、時の藩主は宮司村を他藩の模範として表彰して表彰し、寛政2年(1790)褒美として米六百俵を贈りました。
村民は、この栄誉を後世に永く伝承するとともに、村の繁栄を願って、褒美の一部をもって村内の出生児に産着を贈ることとし、現在もこの慣わしが続けられています。
大正8年(1919)、これら先人の偉業をたたえるため、記念碑が建てられました。