橋本八幡宮

福岡市西区橋本2-29-4(平成22年4月5日)

東経130度19分36.24秒、北緯33度33分10.67秒に鎮座。

 この神社は室見川左岸、560号線に面して鎮座しています。
 道路から豊かな鎮守の森が見え、一際大きな楠の根元に入口の注連柱と鳥居が建立されています。参道は神橋を渡ると境内となり、此処には槙と楠が幹の途中でつながった連理木「きずなの木」が聳えています。深い森の中、参道正面に入母屋造りの拝殿と本殿が建立されていますが、その後ろには阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩が祀られる御堂が堂々と建立されています。此処福岡では神仏分離が緩やかだったのでしょうか?その他参道脇、境外に境内社が数社ありました。
 狛犬は居ませんが、この様な市街地にこんなに大きな鎮守の杜を持つ神社が鎮座する福岡に、将来的には移住したくなりました。

 御祭神:応神天皇、神功皇后、玉依姫命
 祭礼日:正月、春季大祭・3月28日、さなぼり・6月中旬、夏季大祭・7月28日、秋季大祭・10月11日
 境内社:須賀神社、稲荷大明神、さやの神、松川原神、幸神社
 由緒:この八幡宮は今から500年前文明14年(1484)に、柴田蔵人左繁信父子によって初めて建立されたもので、当時の社殿の棟札の写しが柴田家に所蔵されております。
 蔵人左の先祖は陸奥国(今の宮城県)柴田郡の豪族で一説には越後国(今の新潟県)柴田の人ともいい、故あって一族郎党を引き連れて、橋本にやってきました。その時、郷里の八幡宮の分霊をこの地に向かえ社殿を建てたと伝えられております。
 境内の北側あたりに、黒田藩主の別荘茶屋がありました。350年前の頃のことで、3代光之公は橋本の人を母として生まれ、この地で幼時をすごしました。今もこのあたりを「お茶屋の内」といいます。
 また、殿様の御成り所(休憩所)ができ、それから年貢(税)の取り立ての代官所と蔵ができ、そこを蔵本屋敷といっていました。
 光之公は産土神として八幡宮を崇敬し、寛文6年(1668)西新町紅葉松原に立派な社殿を建てて遷宮しました。
 橋本の人はここから遥拝しておりましたが、たっての希望で後に社殿を再建し、以来数度の改築が行われ、現在の拝殿は明治2年に、神殿と渡殿は大正7年に改築されたものです。

社頭
入口の様子
参道に立つ明神鳥居
神池と神橋
境内の様子
拝殿
拝殿天井に架かる干支恵方盤
五行十干十二支等を組み合わせて、恵方(縁起の良い方角)を知り、季節を分けて刻んだもので、内側に方位と八卦の算木を、外側に干支を配しています。中心の矢印はその年の恵方を指します。
本殿
阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩堂
境内社:須賀神社 境内社:稲荷大明神
境内社:さやの神 境内社:松川原神社
戦没者慰霊碑 御神木:イヌマキ
槙と楠が幹の途中でつながった連理木「きずなの木」
境内前方と社殿裏側に広がる鎮守の杜の様子