名島神社

福岡市東区名島1-26 (平成22年4月2日)

東経130度25分30秒、北緯33度38分31.2秒に鎮座。

この神社は、多々良川の河口北側、博多湾に面した高台に鎮座しております。

天正16年(1588)、九州を平定した豊臣秀吉は、この地に城を築くよう小早川隆景に命じ、名島城を九州守護の拠点としました。慶長5年(1600)には福岡藩初代藩主黒田長政が入城しましたが、福岡城の築城に伴い廃城となりました。また、名島神社は当初、神宮ヶ峯山頂にありましたが、築城の際に現在の場所へ移されました。江戸時代までは名島弁財天社と呼ばれていましたが、明治維新の神仏分離令により、現在の名島神社となりました。祭神は宗像三柱姫大神です。
『福岡・博多の観光案内サイト よかなび』現地説明板より。原文はこちら。

事無柴のいわれ
名島神社は太古より、この山の頂上、神宮ヶ峯に鎮座ありしを、天正十六年、豊臣秀吉、神社を浜辺に移し、その神地に御座所指定の名島城、天守閣を小早川隆景に築かせ、九州統括の城としたもので、その後黒田長政入城するも、名島城を解体し福岡城を移築し廃城となる。
黒田四代、綱政現神社を建立され、更に黒田十代齋清による修築ありて現在に至る。中世、慈覚大師、唐より帰朝、辯才天を合祀し通称を名島辯才天とし、福徳円満、智慧、学問、商売、殊に伎芸の神として信仰を集め(つちのとみ祭)には、「事無柴」を頒ち神叢のみしるしとす。或いは太古の「事無の神祭」の奉幣に因ると。
境内由緒書より。原文はこちら。

海岸に立つ一の鳥居

参道入り口に立つ二の鳥居

参道

拝殿

本殿


豊川稲荷神社参道入り口

檻に入れられた狐さん

参道

拝殿

本殿

奥の院


豊受宮 恵比須社
大黒天社 妙見宮

境内の桜

狛魚?