志式(ししき)神社

福岡市東区奈多1236 (平成30年1月4日)

東経130度24分31.81秒、北緯33度41分16.43秒に鎮座。

この神社は、JR香椎線・雁ノ巣駅の北北東800m程の辺り、奈多の街外れに鎮座しております。

御祭神 火明神・豊玉姫神

由緒
神功皇后三韓進軍の折此の奈多浜に鎮座される荒ぶる神の御前にて戦捷の神楽を奏して征途につかれた、此の所を神楽海岸又は躍坂と伝え当時神功の料理に奉仕した祖先の遺志が受けつがれ今日の早魚神事として伝承される。
古は三郎天神と称え、後に志々岐三郎天神と称えたのは志々岐の三郎が勧請合祀した故であろう、明治の代に至り志式神社と改称される祭神は火明神、火酢芹神、豊玉姫神、十域別神、稚武王、葉山姫神で火難、盗難、難産を免れ家運を開く神として広く世に知られる。
正徳5年(1715)正月、寫書の「奈多浦志々岐大明神之事」に、聖武天皇の御宇観世音寺建立に当りご本尊を中華の國より運ぶ折、此の奈多沖にて急に大時化に会い肥前の國五島の志々岐大明神を戦中に勧請し祈願した所無事皈國することが出来た。その後奈多の吹上浜に斯の社を建てその横に4尺3寸5分3尺6寸厚さ2寸2分の金の台座の上に赤銅の阿弥陀仏像を祭ったが、天正12年(1584)岩屋陣の戦の時島津兵が此の像を盗み皈り后に刀の鍔に改鋳した。之が今日伝わる筑前の阿弥陀鍔の由来である。
此の由緒ある神社を永久に世に伝え限りなき神徳を氏子崇敬者と共に讃えむ。
境内由緒書き より。

参道入口と一の鳥居

二の鳥居

神門

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治44年(1911)9月建立)

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋


蛭子宮

稲荷神社

龍宮神社

神輿