警固(けご)神社

福岡市中央区天神2-2-20 (平成22年4月1日)

東経130度24分8.1秒、北緯33度35分4.19秒に鎮座。

この神社は、西鉄福岡天神駅のすぐ西側、福岡の繁華街に鎮座しております。前にはビッグカメラ後ろは三越といったロケーションです。社名及び地名である「警固」はかつて鴻臚館にあっ防衛施設「警固所」に由来するようです。

警固神社
祭神 警固大神(神直日神・大直日神・八十禍津日神)
相殿 建角身神・豊玉姫命・神功皇后・応神天皇
当社の御祭神は記紀に見える神直日神、大直日神、八十禍津日神の三柱であります。この御三神は仲哀天皇九年庚申(200)、筑前国那珂郡福崎の筑紫石のほとりに化現し給い、その年の冬、神功皇后新羅親征の時に再び現われられ、軍衆を警固して勝利に導かれました。これにより皇后は凱旋の後、神号を警固大明神と仰いで、福崎丘上(現在の福岡城本丸跡)に奉祀せられました。これが、警固神社の創祀と伝えられております。後世の慶長六年(1601)、藩祖黒田長政公が福岡城築城の際、当社と薬院の地に御鎮座の子烏神社を城南下警固の山上に遷し合祀されました。当社は更に薬院の北(天神二丁目の現在地)に遷られることになりました。爾来、産土神として世人の崇敬篤く、黒田氏は特に尊崇され、元和七年(1621)十一月五日、長政公より社領八十石の御寄附があり、相次いで歴代藩主の御寄進が行われました。当社は明治五年(1872)十一月十三日、村社に、大正五年(1916)二月二十六日、県社に昇格されました。現在は戦後の制度の改廃によって、宗教法人警固神社と称しています。
境内由緒書より。原文はこちら。

神社入り口

境内と社号標

参道の注連掛石(しめかけいし)

神門

拝殿

本殿

今益稲荷神社鳥居

拝殿

お狐さん

(明治30年(1897)11月吉日建立)

本殿

菅原神社

天照皇大神宮

御神木