綱敷天満宮

築上郡築上町高塚794-2(平成22年4月3日)

東経131度4分3.68秒、北緯33度39分25.24秒に鎮座。

 この神社は浜の宮海水浴場西に鎮座し、神社の目の前には周防灘が広がっている気持ちの良い宮地です。参道入口には「縣社濱宮網敷天満宮」の社号標と一の鳥居が立ち、神社入口には二の鳥居、参道に三・四の鳥居が建ち、境内入口に神門が建立されています。その間、参道には沢山の灯籠が建ち並び、4対の狛犬も建立され、100m程の参道歩きがあっという間に終わってしまいます。
 神門を潜ると境内ですが、参道・境内周辺には梅が約30種120本ほど植えられ、2月中旬〜3月上旬のシーズン時には紅梅や白梅が咲き、観梅に訪れる人が多いようです。又、2月25日の梅祭大祭の時期には夜間照明が設置され夜梅も楽しめるそうです。境内は綺麗に掃き清められ、社殿などの整備も行き届き、とても清々しい雰囲気の神社です。又、境内にも神門後ろや境内社に狛犬が建立されています。

 御祭神:菅原道真公
 祭礼日:1月25日・初天神祭、2月25日・梅祭大祭、5月4・5日・神幸祭、7月25日・夏祭、9月25日・例大祭、11月25日・新穀感謝祭
 境内社:お貴船さま、白山さま、稲荷神社、お祇園さま
 由緒:昌泰4年(901)左遷された菅公が大宰府に赴く途中暴風にあいこの浜にたどり着かれた。有門家令の先祖等が菅公の常の人と異るお姿に接し、取りあえず漁船の綱をくり敷いて休んでもらった。そして、村人たちはこの地に黒木の休所を造り、菅公はここでしばらく休養されて筑紫に向かわれた。
 天暦9年(955)神託があり国府の命によって社壇が造営され、船の綱を敷いて迎えた古事により「綱敷天満宮」と称えられた。その後、寛永14年 (1637)に豊前国主小笠原忠真、豊後国主木下延俊両公によって現在の社殿が造営され、今日に至っている。
 古来、椎田の地は豊後に通ずる街道筋で多くの知名人が当社に参拝している。
 元禄7年(1694)貝原益軒の「豊国紀行」の5月6日の記録に「椎田の四丁ばかり東の浜に松原あり。其内に綱敷天満宮の社有 海辺佳景なり…」と。又芭蕉の門人十哲の一人である各務支考の旅日記「西華坊梟日記」の元禄11年
6月4日のところに参篭したことが記され「昼がほよ 今宵はこヽに はまの宮」という句もある。そのほか、伊能忠敬の「測量日記」(1812年)野田成亮の「日本九峰修行日記」(1819年)等々多くの事跡が残っている。

 因みに、菅原道真公が大宰府への左遷の途上で立ち寄ったという伝承を持つ同名社は、下記のように京都から九州太宰府間に点在しています。
 ・綱敷天神社…大阪市北区
 ・綱敷天満神社 (神戸市) …神戸市東灘区
 ・綱敷天満宮 (神戸市) …神戸市須磨区
 ・綱敷天満神社 (今治市) …愛媛県今治市
 ・綱敷天満宮 (福岡市) …福岡市博多区
 ・綱敷天満宮 (築上町) …福岡県築上町

社号標
「縣社濱宮網敷天満宮」
参道入口 一の鳥居
社頭
神社入口 二の鳥居
二の鳥居後ろにいる昭和7年生まれの狛犬
鬣が長く大きなウエーブが綺麗です。
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(昭和7年(1932)9月建立)
参道途中の三の鳥居
参道の様子
参道途中にいる昭和3年生まれの狛犬
倒立と起立の一対です。倒立の阿は左前脚で玉に乗り、起立の吽は前脚が体から離れていません。
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(昭和3年(1928)建立)
参道途中の四の鳥居
参道途中にいる大正13年生まれの玉乗り狛犬
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(大正13年(1924)10月3日建立)
神門
神門前にいる文政9年生まれの狛犬
余りに狛犬数が多いため、我が狛犬写真班はこの狛犬の写真を撮り忘れてしまいました。上記の写真よりの切り取りなので写りが悪いのはご容赦を…。
(文政9年(1826)建立)
境内の様子
参道脇の梅園内にいる明治13年生まれの玉乗り狛犬
建立年代は紀元2540年と書かれていました。鬣の渦が高く飛び出し、爪先立ちをしています。
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(紀元2540年 明治13年(1880)建立)
社殿の周辺には梅が約30種120本ほど植えられ、2月中旬〜3月上旬のシーズン時には紅梅や白梅が咲き、観梅に訪れる人が多いようです。又、2月25日の梅祭大祭の時期には夜間照明が設置され夜梅も楽しめるそうです。
拝殿
拝殿内の様子
本殿
歳筆塚 石碑
境内社:お貴船さま 境内社
境内社:白山さま
白山さまを護る明治16年生まれの狛犬
前に身を乗り出した可愛い狛犬ですが、吽の上顎が欠けているのが残念です。
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(石工・前田文吉 明治16年(1883)癸未11月建立)
白山さま縁にいるライオン
境内社:稲荷神社
境内社:お祇園さま 不動像
御神木・神梅