豊前市宇島70 (令和7年4月3日)
東経131度08分06.63秒、北緯33度37分13.67秒に鎮座。
この神社は、JR日豊本線・宇島駅の東北東700m程の辺り、宇島の街中に鎮座しております。
御祭神
由緒
本社祭神主柱であります、杉生十右衛門貞則は小倉小笠原忠国公に仕へ、誠に信任厚く各奉行を歴任し、郡代に重用せられた。在任中偶々小倉領小祝を中津奥平藩より申入れの領内の替地問題に端を発して、毎日追われる藩民の苦しい生活と通行船の難破遭難に遭うのを憂い、杉生郡代は藩主に築港の必要性を献策し、之が許され、築港の普請奉行を命ぜられる。常に鵜の鳥の群集する当所の海濱を選び名を宇之洲と改め、小倉藩唯一の築港普請が始められた。時に文政4年(1821)これが完成には6年半の歳月と当時の金で工事費3万4000貫(現在に換算すると約百憶)という。藩の財政を傾けるなどの金を要し、実に予算の30倍の費用を、全く天与の地利の恩恵なき蒼海に投入し出来あがった難事業で如何に藩主が民生の安定と周防灘唯一の商港避難港たる宇島港に期待し、又藩民の要望に答えた仁政であったかが伺える。此の雄大な構想は今日の大阪、神戸港の堤防に劣るものではない。
時たまたま完成後大暴風雨で一部の決壊により一部の人から工事総監督の責任を追及されるに至り、不可抗力的な天災にも拘らず、自らその責任を感じ食禄も辞退して謹慎生活中に武士道の精華として自刃し、宇島港の守護神として港と共に神徳益々顕彰されその遺徳は万世まで伝はり大正5年(1916)忠固侯と共に贈位恩典に預かった一事でもその功績は千載不朽で宇島港と共に永遠に輝かん。依而当社は金比羅宮、表津海命・中津海命・底津海命の三柱を奉祀するに合祀す。
守護神の頌徳は地方発展の生命線である港湾と共に信仰に輝き航海者の安全を授け給ふ所以なり。
境内由緒書き より。
神社入口
神額
入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(紀元2600年紀念 昭和15年(1940)建立)
境内
拝殿
本殿
宇島恵比須神社