大己貴(おおなむち)神社

朝倉郡筑前町弥永697-3 (平成30年1月3日)

東経130度39分23.05秒、北緯33度26分24.86秒に鎮座。

この神社は、筑前町役場の東南東6km程の辺り、朝倉市に近い弥永の街外れに鎮座しております。

御祭神 大己貴神

由緒
式内社で『延喜式神名帳』に「於保奈牟智神社」と記載されている。『日本書紀』によると「仲哀天皇9年秋9月庚午朔己卯、神功皇后諸国に令して、船舶を集め、兵甲を練らる。時に軍卒つとひかたし。皇后の曰く、必神の心ならんとて、大三輪社を立て、以て刀矛を奉り玉ひしかは、軍衆自聚る」と神功皇后とこの神社との説話が記されている。また、江戸時代の『筑前国続風土記』の中に「9月23日祭禮あり。御旅所は村の西10町許にさやのもとと云う所あり。(中略)然れ共夜須郡東部の総社なれば、其敷地広く、産子殊に多くして、人の尊敬浅からず。」現在、10月23日の秋季例祭の記載がある。
同じく江戸時代の『太宰管内志』の中の「筑前神社志に皇后(神功皇后)より後に嵯峨天皇弘仁2年(811)勅願有て御建立あり、其後661年を経て後、土御門院文明3年(1471)勅願として御建立あり、其間数度造替ありといへども詳ならず伝われる縁起記録類は天正年中(1573〜1591)兵火にかかりて尽く焼失す。天正15年(1587)より96年の間、かり殿に居ましける寛文12年(1672)石鳥居建立。祭禮神幸の儀式同13年に再興す。本社貞享4年(1687)改造す。拝殿は元禄5年(1692)建立。堂6年社領少黒田甲斐守寄附し給へり。神職松木氏先祖より寛永2年(1625)まで62代相続せり」とある。
また、『筑前国続風土記附録』に「此村及甘木・隅江・楢原・甘水・持丸・菩提寺・千代丸・牛木・高田・野町・依井・大塚すべて14村の産神にして、夜須郡の惣社也。」とある。
境内由緒書き より。

大己貴神社公式サイトはこちら。

参道入口と一の鳥居

神額

二の鳥居

三の鳥居

参道

境内

参道左右のの狛犬。拡大写真はこちら。

(皇紀2600年紀念 昭和15年(1940)建立)

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿内部

本殿


須賀神社

八幡宮