白山神社

吉田郡永平寺町志比17-1 (平成30年8月8日)

東経136度21分17.25秒、北緯36度02分59.23秒に鎮座。

この神社は、永平寺の南西500m程の辺り、志比の街外れに鎮座しております。

御祭神 伊邪那岐神・伊邪那美神・天照大神

由緒
当白山神社は永平寺開祖道元禅師中国の天童山景徳寺(現在の天童寺)での修業を終へ明日、日本へ帰ろうとする夜「碧厳集」を手に入れられこれを書き写し持ち帰ろうとしたがしかし思うように筆はすすまない。そこへ白衣の神人が現われ禅師の書写を手伝い無事に終えることが出来た。白衣の神人とは実は、日本の白山権現であった。
以後白山権現を崇敬され本山の鎮守社として春秋の彼岸の中日には一山の大衆が参拝し、報恩の読経を行い又毎年7月18日の白山のお祭には大衆が登拝を行っている。首座和尚と言われる修行僧が100日間の修業を終えると翌日白山権現にお礼の参拝をし報恩感謝を申し上げている。
祭神には伊邪那岐、伊邪那美神、天照大神を始め十一面観音、毘沙門天、不動明王、大日如来の神佛混淆の神社であり圓通閣の別名もある向背正面には永平寺の禅師揮毫の(禅師名不詳)「圓通閣」の額が掲げられている。本殿は昭和41年に新築造営(総檜造)それまでは拝殿に祭神をお祀りしていたものであり拝殿には宮大工信仰の神である聖徳太子をお祀りした太子堂がある。堂宇は縮尺されたものであるが精巧な造りで神社建築の見本とされている。製作年月は不詳であるが300年近く経っているものと言われている。以前の拝殿も造営年月不詳であるが大正の末期に茅葺屋根を瓦葺屋根に改めた。なお昭和41年に一部修理補強したが平成の御大典記念事業として永平寺宮大工の総力を挙げて、総欅造で拝殿改築を行ない、平成4年10月竣工した。拝殿に文化15年(1818)、天保12年(1841)同14年の古い絵馬8点が掲げてあり社宝として保存している。境内社の神明神社社殿を昭和62年に檜材をもって造営しお祀りしている。昔は大工村の氏神として境内に堂宇があったが町営駐車場建設のためその地領を提供したため現在地へ移転したものである。昭和58年に手水舎(総欅造)の屋根を銅板葺に葺き替えた。志比区壮年会が寄進した。
御日待行事とは毎年1月14日夜7時頃より公民館において天照大神(掛軸)を迎え男子25才、42才、男女子61才の厄年の者の厄除けを神官が執り行い式後に区民挙げて日の明くるまで祝宴を行う神事である。
福井県神社庁公式サイト より

参道入口と一の鳥居

参道

境内入口に立つ二の鳥居

神額

境内

拝殿前のお惚け顔の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和16年(1941)5月吉日建立)

拝殿

拝殿内部

垂れ幕の陰に隠れる狛犬。

本殿


神明社

神明社、縁側の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
一体だけの狛犬