松原神社

敦賀市松原町2-37 (令和2年10月17日)

東経136度03分27.59秒、北緯35度38分54.29秒に鎮座。

この神社は、JR敦賀駅の西北西2km程の辺り、松原町の街中に鎮座しております。

御祭神 正四位武田伊賀守・天狗政員411柱

由緒
徳川幕府の末葉、勤王の大志を抱き攘夷論を唱えて京都に赴き、素志を貫徹せんと意を決した武田伊賀守他同士達は各地に轉戦しつゝ、元治元年(1864)11月大雪の中、新保の地にて加賀藩の軍門に降り、敦賀の鰊倉に幽閉され元治2年(1865)2月斬罪により松原の露と消えた。
大政奉還後王政維新明治の聖世となり命等の勤王の大志が天日を見るに至り、慶應3年(1867)敦賀の修驗行壽院が神衹伯白川家の許可を得て院内に諸士の霊を祀り、明治7年(1874)11月水戸の人根本彌七郎が墓地附近に一小祀殿を創建して松原神社と稱し、大正4年(1915)11月現在地に御造營竣工し、白砂青松の淨域に御霊代を奉還、永く英霊に鎮り座すこととなった。
境内由緒書き より。

明治7年(1874年)11月に水戸藩の根本弥七郎が天狗党員の墓地付近に祀殿を創建し、大正4年(1915年)11月に現在地に社殿を構えて遷座、昭和29年(1954年)、天狗党員が監禁されていた鰊蔵が境内に移築され、水戸烈士記念館となった。
ウィキペディアより。

天狗党の乱(てんぐとうのらん)は、元治元年(1864年)に筑波山で挙兵した水戸藩内外の尊王攘夷派(天狗党)によって起こされた一連の争乱。元治甲子の乱(げんじかっしのらん)ともいう。

鳥居

参道

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正4年(1915)11月吉日建立)

中門

本殿