鞠山神社

敦賀市鞠山(平成20年11月1日)

東経136度4分49.5秒、北緯35度40分31.29秒に鎮座。

この神社は、敦賀港の東側にあるフェリーターミナルの東側500m程の辺りに鎮座しています。鞠山藩の陣屋にあった稲荷神社に、初代藩主酒井忠稠(ただしげ)を祀り「鞠山神社」としたのが始まりのようです。現在リコー敦賀荘が神社裏手にありますが、嘗て陣屋はそこに在ったようです。

鞠山神社
 天和二年(1682)、小浜藩二代藩主酒井忠直から、次男忠稠(ただしげ)が一万石を分領され、赤崎浦塩込に陣屋を築き、この地を「鞠山」と改めて、「鞠山藩」を開いた。小藩ながら歴代藩主には寺社奉行・若年寄などの要職に就く者もいた。明治二年(1869)、人材育成のため藩校「日新館」を設立。その藩士の多くが新時代の先駆者となって、敦賀の教育・文化の発展に貢献した。その功績と理念は、今も脈々と引き継がれている。
 明治三年(1870)、鞠山藩は宗藩小浜藩と合併。「・・・君臣ニシテ其ノ情父子ノ如ク、領民ヲ愛撫シ、廣ク徳政ヲ布カレ候」の鞠山藩は、領民に惜しまれつつ廃藩となった。
 明治三十八年(1905)、鞠山藩の消滅を憂う地区住民と元藩士らが、初代藩主酒井忠稠の二百回忌に合わせて、既存の鞠山藩の稲荷神社に、藩祖忠稠を合祀し、社名を「鞠山神社」と改めて、この鞠山藩陣屋跡地に創建した。
 神殿には、歴代藩主の略歴巻子本、斬馬剣と由緒書、陣屋絵図面、鞠山の鳥瞰図などが奉納されている。陣屋を中心にして、稲荷神社・砲台・民家・寺院・地蔵堂などが描かれた鳥瞰図は、鞠山藩と共に歩んできた鞠山区の貴重な歴史資料になっている。
 由緒書には、慶応四年(1868)、若年の八代藩主忠經(ただつぐ)を蔑ろにし、藩政を思いのままにと企てる家老が、主家の存亡を危惧した青年藩士五名に斬殺された事件の経緯が記されている。宗藩に自首し、強く自裁を望んだ五名は、藩士としての一分を推重され、明治五年(1872)四月、松原村来迎寺門外にて切腹した。同寺には敦賀町民の募金によって、墓碑が建立されている。
 当神社では、毎年七月十二日、鞠山藩の歴史を偲びながら、例祭が執り行われています。そして、各家々の鎮守と五穀豊穣・商売繁盛・学業成就の祈願をしています。
境内由緒書より。

神社全景

社殿正面

拝殿前のマッチョな狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和6年(1931)3月建立)

社殿全景と正面