多禰神社

坂井市丸岡町山崎三ケ64-77(平成24年6月2日)

東経136度17分55.03秒、北緯36度08分11.90秒に鎮座。

 この神社は老人福祉施設・長寿園の西に鎮座しています。農道と共通の参道には朱の鳥居が立ち、神社入口には「種神社」と彫られた額が掛かる石の鳥居と、「式内多禰神社」と記された社号標が立っています。鳥居の右手奥に「瑩山國師誕生地」という石碑が立っており、数基の稲荷鳥居をくぐり石段を上ると境内。境内は片側が開けた明るい感じで、出雲狛犬に護られて妻入りの大きな拝殿と、拝殿と繋がれた形の本殿が建立されています。やや上に石祠の境内社・高杉社も祀られています。
 境内から入口を振り返ると、辺りは長閑な田園風景が広がっていました。

 御祭神:稲倉魂命、天児屋根命
 祭礼日:10月5日
 境内社:高杉社
 由緒:多禰神社は延喜式内社で稲倉魂命、天児屋根命を奉斎し古くより種稲荷明神、従一位多禰大明神と尊崇され、五穀豊穣、商賣繁昌と国家鎮護、子授、安産を守護し給う
(「境内案内板」より)

 『延喜式神名帳』に記載の「多禰神社」は当社であると言われている。
 御社名について『神社明細帳』に「阪井郡山崎三ケ村字馬場 無格社 種神社」を朱筆で「明治四一年八月一五日に改称許可 多禰神社」と訂正されている。このことを『式内社調査報告』は「多禰」を「種」の一字で記載する例は、近世の地誌類に多く散見し、村名が、種村と呼ばれていた頃は、神社も種神社と呼ばれていたのを、古典に擦って、明治41年に「多禰神社」と改称するようになったのであろう。と述べている。
 御祭神について、『神社覈録』に「今、稲荷明神と称す。」『大日本史』に「今、種山崎村に在り、稲荷明神と称す。国税帳に云う、従一位。」『神社明細帳』に「祭神稲倉魂命天兒屋根命(朱筆)。」と記してある。朱筆の天兒屋根命は、大正10年に、山崎区と江添区の春日神社を合祀した記録である。
 明治9年6月に村社に列せられた。
 昭和14年4月1日に福井県より神饌幣吊料を供進する神社に指定された。
 境内は、奥深く、もの静かな社叢に囲まれている。なお、昭和49年1月8日に丸岡町から史跡の指定を受けた「螢山国師降誕地」の石碑は、明治30年に境内に建立されたものである。螢山国師は、文永5年(1268)に越前国多禰村の観音堂に生まれ、後に、能登国の総持寺の開祖となられ常済大師と申された高僧を顕彰した石碑である。
(「福井県神社庁公式サイト」より)

神社遠景
参道入口に立つ一の鳥居
社頭
二の明神鳥居
社号標「式内多禰神社」 「螢山国師降誕地」の碑
螢山国師は、文永5年(1268)に越前国多禰村の観音堂に生まれ、後に、能登国の総持寺の開祖となられた曹洞宗の第四祖・常済大師を顕彰した石碑です。
参道に立ち並ぶ稲荷鳥居
石段参道と途中に建立されている稲荷鳥居
境内入口
境内の様子
拝殿前、大正10年生まれの出雲狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正10年(1921)10月建立)
妻入りの大きな拝殿
拝殿内の様子
本殿

境内社:高杉社

境内から入口を振り返ると、辺りは長閑な田園風景が広がっています。