三国神社

坂井市三国町山王6丁目2-80(平成24年6月1日)

東経136度9分38.59秒、北緯36度12分21.58秒に鎮座。

 この神社は三国神社駅の南約600mに鎮座しています。
 小丘全体が神社の社地で、広大な面積に杉・松・タブノキ・ケヤキ・スダジイ等の大樹が覆い茂っている、旧県社の大神社です。 入口右脇には推定樹齢約600年のご神木・大欅が聳え、左手には「縣社 三國神社」と刻まれた社号標、数段の石段の上に巻銅板の台輪鳥居が建立されています。正面石段上には県指定有形文化財の三間一戸楼門形式、入母屋造り、銅板葺の随身門が荘厳な姿を見せ、参道右側には絵馬堂、社務所、左には宝物殿、神馬堂が配されています。参道は途中で二股になっており、右側は拝殿・本殿へ、左側は木立神社へと分かれます。
 初めは右側に進路を取ると深い木立の中に参道が付けられ、右側に神輿堂、厩戸神社、事代主神社が配され、中央奥に鳥破風唐破風付き入母屋造りの拝殿、透かし塀内に本殿が建立されています。拝殿破風下には鳳凰、猿などの見事な彫刻が施されています。又、本殿縁には狛犬がおり、後方の軒下に雄の石造猿が鎮座していました。本殿左には仙人と龍や珍しい風神雷神の木鼻、虹梁上に狛犬等の素晴らしい彫刻が施された社殿を持つ八幡神社が祀られています。
 二股参道まで戻り、真っ直ぐ北に向かうと、すぐ右手には元山王宮跡地、左手には稲荷神社が祀られ、参道を80m程進むと福井藩の名君・松平慶永(春嶽)公を御祭神とした木立神社が祀られています。
 その他、この社には狛犬が11対もおり、狛犬ファンにも見逃せない神社といえるでしょう。

 御祭神:大山咋命、継体天皇、雷神
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、1月15日・左儀長 どんど焼き、2月3日・節分祭、3月23日・五穀豊穣諸業繁栄祈念祭 春祭り、5月15日・宮開き祭、5月19日・例大祭、5月20日・中日祭、5月21日・後日祭、6月 最終日曜日・夏越大祓、7月 第3日曜日・八幡神社祭、9月23日・木立神社祭、11月・七五三詣り、11月23日・新嘗祭、12 月31日・年歳大祓、年中・春祭り、毎 月1日・十三参り 月次祭
 境内社:稲荷神社、八幡神社、木立神社、厩戸神社、事代主神社、富理姫宮、住吉神社、元山王宮跡地
 由緒:戦国時代に千手寺正智院の鎮守神として山王大権現(大山咋命)が祀られ、三国湊の発展とともに、従来の千手観音に代わって惣氏神とされ、信仰が厚くなった。天保年間に六代目内田惣右衛門が飢饉の救済事業として境内の拡張整備を行い、三国湊の惣鎮守に相応しい堂々たる景観となった。明治4年桜谷神社と改称。この頃に継体天皇を祀る水門社を合祀、明治18年には三國神社と改め、現在に至る。旧4月申の日(現5月20日)の祭礼は、江戸中期に武者人形を載せた山車を曳き回して賑わい、その町衆の熱気が今も引き継がれ、北陸を代表する大祭となっている。

 祭神は大山咋命(山王権現)脇祭神継体天皇。延長5(927)年千手観音を祭神として小社を建立。天文9(1540)年中兵庫川より流れてきた、すなわち大山咋命を祭神として山王宮を建立。いつしか山王信仰が厚くなった。明治3(1870)年桜谷神社と改称、明治5年に水門宮の祭神継体天皇を合祀、明治18年三國神社と改称し現在に及んでいる。天保2(1831)年飢饉の様相になったので
窮民救済のため社殿改築及び境内整備の工事が内田惣右衛門の主唱で始められ、天保10年に上棟式、遷宮式が行われた。これが現存する本殿及び拝殿である。

 この神社は古代においては延喜式にそ の名を見られる式内社であった。戦国期 に、白山千手寺の正智院が大山咋命を奉 祀したところ厚い信仰をうけ、近世にな り、境内を広げ、大造営を行い、山王宮 と称し発展した。
 明治期に入り、継体天皇を合祀し古名 の三国神社と復称した。毎年五月二十日 に行われる祭礼三国祭は北陸三大祭の一 つとされ、四メートル大の人形をのせた山車が 曳かれ多くの人で賑う。
(以上「境内案内」より)

「三國神社公式サイト」はこちら





神社入口
入口に立つ巻銅板の台輪鳥居
明和4年4月建立、安政2年(1855)に再建。明治45年に当町・松川仁平氏の寄進により銅板を巻く。銅板の細工人・山本岩吉氏。
鳥居に掛かる額 社号標「縣社三國神社」
石段参道の様子
県指定有形文化財の三間一戸楼門形式、入母屋造り、銅板葺の随身門
元治元年(1864年)釿始  明治3年(1870年)完成
正面3間(8.18m)、側面2間(4.62m)、棟高12.41mの規模を持ち、桜門としては、県内最大級の規模。笏谷石基壇上に礎石を置き、円柱を建て、下層では三段の貫で、上層では長押と貫で固めており、金具に代えて彩色付薄板を貼り付けている点が特徴的。楼門上の光華閣の3字額は慶応4年・第17代福井藩主・松平茂昭公の寄進。
絵馬堂
社務所
宝物殿
神馬堂
県指定文化財の実物大の木造彩色の神馬が安置されています
参道の様子
参道途中にいる大正4年生まれの出雲狛犬
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(大正4年(1915)11月建立)
森の中を通る参道の様子
境内入口
境内の参道の様子
拝殿前、明治42年生まれの狛犬
阿は玉を持ち、吽には子狛がじゃれています。厳しい顔つきの割には子煩悩なのかも?
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(明治42年(1909)5月中旬建立)
千鳥破風唐破風付き入母屋造りの拝殿
天保2年(1831)内田惣右ヱ門の主唱で窮民救済のため社殿の改築が行なわれました。
破風下彫刻全景
懸魚・鳳凰と破風下彫刻・桐
目貫彫刻・志摩乗時彫刻の町指定文化財 群猿
木鼻・志摩乗時彫刻の町指定文化財 獏
拝殿内の様子
本殿左右と正面から
本殿縁に居る狛犬
山王宮と称していた頃の名残でしょうか?本殿後方軒下に雄の石造猿が鎮座しています。
神輿堂

境内右側に祀られている境内社:事代主神社境内
事代主神社社殿を護る縦置きの狛犬
そんなに大きな狛犬ではありませんが、造りが丁寧で、威厳に満ちた良いお姿をしています。
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事代主神社社殿と社額
境内右側に祀られている境内社:厩戸神社入口
厩戸神社を護る大正12年生まれの出雲狛犬
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(大正12年(1923)4月建立)
厩戸神社社殿
厩戸神社社殿に架かる扁額
厩戸神社木鼻・狛犬
境内左側に祀られている境内社:八幡神社入口
八幡神社参道
八幡神社を護る昭和2年生まれの出雲狛犬
縦置きで、阿は口中に玉を含み、吽には子狛がじゃれています。
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(昭和2年(1927)11月建立)
妻入りの八幡神社拝殿
森町には特に鍛冶職が多く居住していた関係から、弓矢の神である 八幡神社の祭神・応神天皇が守護神として崇敬され、「桜谷地主神」として古くから祀られていました。
八幡神社扁額
八幡神社向拝下彫刻
八幡神社虹梁上に居る狛犬達
八幡神社木鼻・風神雷神
八幡神社境内
八幡神社本殿を護る狛犬
小振りな狛犬ですが、顔つき体格共に貫禄十分です。吽の顔面が欠けているのが残念です。
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八幡神社本殿
境内社:木立神社入口
木立神社入口にいる狛犬
大夫後期の作とは思われますが、笏谷狛犬ではないでしょうか?阿は理知的な顔で、腰を据えて来訪者を見ています。吽は丁度石の目に当たってしまったのでしょう、上半身がスポッと割れてしまいました。
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木立神社参道右側に鎮座する元山王宮跡地
元山王宮跡地の磐座を守る狛犬
丸みを帯びた優雅な体形と、穏やかな顔をした良い狛犬です。剥落が進んでいるのが気になります。
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元山王宮跡地に鎮座する磐座
木立神社参道左側に鎮座する境内社:稲荷神社
稲荷神社社殿と神使い
木立神社参道に立つ台輪鳥居
木立神社参道
木立神社境内入口
木立神社境内入口にいる大正15年生まれの出雲狛犬
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(大正15年(1926)4月建立)
木立神社社殿
明治24年に建立された木立神社の御祭神は、幕末から明治における福井藩の名君・松平慶永公です。

推定樹齢約600年のご神木・大欅
ご神木・タブノキ
ご神木 ご神木
藤棚
鎮守の杜