國神(くにつかみ)神社

坂井市丸岡町石城戸町1-2(平成24年6月2日)

東経136度16分29.66秒、北緯36度08分50.11秒に鎮座。

 この神社は丸岡城の南約200mに鎮座しています。昭和23年の福井大震災により焼失したそうですが、すっきりとした綺麗な佇まいに再建されています。入口には明神鳥居が立ち、左に「式内國神神社」と記された社号標。境内に入ると参道右手に手水舎、左に社務所が配され、正面に千鳥破風・唐破風付き入母屋造りの拝殿、本殿は微かに屋根だけが見える状態です。境内右奥には稲荷神社も祀られています。

 御祭神:椀子皇子 (配祀)振姫命 応神天皇 (合祀)有馬晴信
 祭礼日:4月15〜17日・春季祭礼、10月15〜17日・秋季祭礼
 境内社:稲荷神社
 由緒:当神社は延喜式神名帳登載の古社で、1200年以前の創建である。第26代継体天皇未だ皇子の頃、味真野皇子と申し奉り、此の磨留古乎迦に御在座し、近江の国高島の郡三尾の堅械が女を倭媛と迎えられ、御腹に二男二女を産み給ふ。
第二の皇子、此の乎迦に御降誕、即ち地名を以て御名を椀子皇子と称し奉る。御産湯水此の乎迦の東の森に在り、御胎衣を乎迦の南の森に埋めて神明宮と崇奉る。磨留古乎迦を中略し磨留乎迦、後に丸岡と改める。
 御父君味真野皇子と共に、当時芦の生い茂る越の(越前)の大湿地を憂ひ給ひ、水の口(後の三国港)を切り開き、満々と停蓄せる水を海に排水せしめ、以て坂井、吉田、足羽の各郡は大平野となり、九頭竜、足羽、日野の河川をも整え、国土の経営に力を尽くされた。
 武烈天皇崩御、御継嗣なかりし為、起ちて天位に即かせ給ふ。時に御年58才、おくり名を継体天皇と申し上ぐ。
椀子皇子尚も当地に留まりて、坂井平野の開拓に意を注ぎ、以て国土開発の守護神として御聖徳に感謝、歴代領主を始め、近郷近在より厚く尊敬さる。
 正4年、柴田伊賀の守勝豊、豊原西の宮に在る城をこの丸岡に移し築城するに際し、当神社を南の森(現在地)に遷座、社領等の寄進あり。元禄八年有馬家、日向の国延岡より入城、代々社守領五十石を付置す。
 明治維新後神社名神明宮を国神神社に改める。
 明治7年県社に列され、同41年神饌幣帛料供進神社に指定される。
 昭和23年6月28日、福井大震災により御社殿樹木等総てを消失、灰燼に帰すも、同37年現社殿を再建、同57年宝物殿の新築、同61年玉垣の増改築、平成4年社務所、氏子会館の建設あり。
(「延喜式神社の調査」由緒書より)

社頭
入口に立つ明神鳥居
社号標「式内國神神社」 鳥居にかかる額
境内の様子
手水舎
参道の様子
拝殿前、昭和37年生まれの岡崎現代型狛犬
(昭和37年(1962)7月建立)
拝殿前、建立年代不明の岡崎現代型狛犬
千鳥破風・唐破風付き入母屋造りの拝殿
微かに屋根だけが見える本殿
宝物庫?

境内社:稲荷神社 入口と鳥居
稲荷神社参道の様子 稲荷神社神殿
神使い・お狐様
(昭和52年(1977)7月建立)