春日神社

坂井市三国町新保18-16(平成24年6月1日)

東経136度8分47.38秒、北緯36度12分13.95秒に鎮座。

 この神社は竹田川と九頭龍川が合流する河口部近く、三国神社駅の南西約1.7kmに鎮座しています。
 入口は道路からの境界がない開放的な神社で、「郷社春日神社」と記された社号標が左側に立っています。参道左手に配されている社務所と手水舎前を通り鳥居を潜ると境内で、参道左手に厳島神社と金刀比羅神社が祀られています。玉垣内に入ると、右手に事代主神杜と磯前神社が祀られ、中央奥に妻入りの拝殿、覆い屋内に本殿が建立されています。本殿の右手には八幡神社、左手には天照皇大神宮も祀られています。
 全てが丁寧にそして綺麗に整えられた感が強い素晴らしい神社で、沢山いる狛犬達にも行き届いた配慮がされていて、とても嬉しく感じました。

 御祭神:天児屋根命、姫大神、武甕槌命、経津主命、彦太命
 祭礼日:例祭・4月29日
 境内社:金刀比羅神社、事代主神杜、八幡神社、厳島神社、磯前神社、天照皇大神宮
 由緒:『神社明細帳』及び『神社誌』に「春日神社は、往昔、阿古江新保浦に鎮座されていた。ところが、延喜年暦の末年(923)に大暴風雨が発生して、砂を吹き飛ばすことが数度に及び、一日一夜に砂が三尺以上積って、阿古江新保浦から上浜住村まで大砂漠となってしまった。現在の三里浜である。
この災害で、人家が多く砂に埋ってしまったので、浦人は、今の泥原新保浦へ移り住むことになった。その時に、当神社も今の地に遷座された。
第61代朱雀天皇の御宇の天慶7甲辰年(944)3月に、大和国の龍蓋寺の僧侶で雲光という人が来て、社殿の再建に蓋力すると共に、旧地に鎮座されていた。"片岸神社"を春日神社に遷座して、両社を相殿とした。
 古き伝えに、天平勝宝の頃(749−757)に、越知の泰澄大師が、当国二十八浦で修業された時に、当浦に大伽藍を建立して、灌頂寺と称して千坊が建ち並んで、北国第一の霊場であったという。
 また、片岸神社は、延喜式内の大社であって、天平勝宝年間の創建である。往昔は、社人等も多く奉仕していた。馬場等もあって字片岸岡には、社殿や鳥居等の基石や礎石も現在している。字僚火山は、片岸大社の大門前の籍火を焚いた旧地であると古老の口碑に伝承されている。
 明治5年11月7日に足羽県から郷杜に列せられた。同8年12月10日に敦賀県から更に郷社に列せられた。
 明治41年4月26日に神饌幣畠料を供進する神社に指定されたと記載してある。
(「福井県神社庁公式サイト」より)

社頭
社号標
「郷社春日神社」
参道の様子
参道左手に配されている社務所と手水舎
参道途中に立つ台輪鳥居 鳥居に架かる額
境内の様子
社殿の建つ奥の境内入口
拝殿前、大正3年生まれの出雲狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正3年(1914)6月建立)
妻入りの拝殿
拝殿内の様子
本殿縁下にいる神殿狛犬
暗くて遠く、映りが悪いのですが、かなり大きな笏谷のように見えます。ずっと室内にいたので保存状態も良いのではないでしょうか?是非近くによって拝見したいですね〜。
覆い屋と本殿
神饌殿

参道の左手に池があり、その中に祀られる境内社:厳島神社全景
流石厳島神社、きちんと水に囲まれた中に祀られています。
厳島神社石祠
参道左手奥に祀られる境内社:金刀比羅神社全景
金刀比羅神社軒下にいる狛犬
阿吽の位置が反対ですが、地震にでもあったのでしょうか?補修の跡が痛々しいですね。でも、狛犬ファンとしては、此処まで丁寧に補修して残して下さるお気持ちは、とてもありがいたいです。狛犬さんにも末永く頑張って欲しい気持ちでいっぱいです、ガンバ!!
狛犬の拡大写真はこちらで
金刀比羅神社社殿
玉垣を入った右手奥に祀られる境内社:事代主神杜全景
事代主神杜境内
事代主神杜社殿
玉垣を入った右手に祀られる境内社:磯前神社全景
磯前神社軒下にいる笏谷狛犬
極小さくてやんちゃそうな狛犬ですが、阿吽共に前脚や顔面の一部が欠けています。笏谷好きの私としてはとても残念です。
磯前神社社殿
本殿の右手に祀られる境内社:八幡神社入口
八幡神社入口に立つ胴巻神明鳥居と額
八幡神社境内
八幡神社社殿軒下にいる笏谷狛犬
縦置きで、阿吽の位置が反対です。笏谷ではありますが、他狛同士が組み合わされているようです。でもとても可愛いから何でも許しちゃいます。
狛犬の拡大写真はこちらで
八幡神社社殿
本殿の左手に祀られる境内社:天照皇大神宮

境内に置かれた式内社・片岸神社の遺物