布久漏(ふくろ)神社

坂井市丸岡町北横地14-29・30(平成24年6月2日)

東経136度15分18.63秒、北緯36度07分30.95秒に鎮座。

 この神社は十郷用水北の30号線沿いに入口があります。入口の左右には掲示板があり、「式内布久漏神社」と記された社号標と一の輪鳥居が立っています。南に向かう参道を行くと、旗立台、二の鳥居を経て境内に入り、入母屋造りの拝殿前には昭和3年生まれの出雲狛犬がおり、隣接して参集殿らしき建物が建てられています。奥には弊殿・本殿が続き、境内の左手には境内社、社殿の前には石祠が祀られています。綺麗にすっきりと整えられた神社でした。

 御祭神:誉田別命、気長足姫命
 祭礼日:9月14日
 境内社:2社
 由緒:当社は、應神天皇 神功皇后の二柱の大神を御祭神としてお祀りしています。御創建の年代は詳らかではありませんが、醍醐天皇延長5年 (927)に編纂された延喜式の神名帳に登載する延喜式内社であることから、それより以前に御創建されたことがわかります。
 社伝によれば、人皇第26代継体天皇が男大迹皇子として越の国坂中井にお住まいの頃、この辺り一面は泥沼で耕地は大変少なかったといいます。皇子は郷土心が強くいつもこのことを憂いておられました。
 ある時、九頭竜川の水口を切り開いたところ、水が海に流れるようになり次第に耕地が出来上がりました。
 皇子が継体天皇となられた後、この布久漏郷に第19番目の皇女円媛命がお住みになり、この治水事業を承け継がれ現在の十郷用水の礎を造られたのです。円媛命は、御自身が應神天皇第六世の皇孫に当たることから、應神天皇 神功皇后を氏神として祀り、土地の名を取って布久漏神社としたのが御創建であると伝えています(社頭掲示板)

特殊神事 県指定無形民俗文化財・表児の米
 布久漏は北横地の古名である。神社には、品陀和気尊(応神天皇)と気長足姫尊(神功皇后)をまつる。
 この神事の起源については、継体天皇の皇女円弥媛の用水に対する尽力に感謝し、賽米を集めた事に始まる等、いくつかの伝説がある。
 9月14日の宵、村の若者十数名が褌姿で公民館に集まり、太鼓のはやしに合わせ歌いながら肩を組み輪になって押し合いをする。
 この行事を『おたしより』という。続いて米搗きが始まる。初穂米を臼に入れ、『今搗くお米は、百姓の涙米…』などの歌にあわせて搗き上げとぎ、「セイロ」で蒸し神前に供える。残りは団子状に丸め(これを表児の米という)参詣の人に箕でまく。
 15日未明、若者たちは表児の米を箕に入れ、『マスヤ、マスヤ』と呼びながら村中を廻る。各家では一升ますを持出しこれを受ける。(社頭掲示板)

神社入口
入口に立つ一の台輪鳥居
社号標「式内布久漏神社」 鳥居にかかる額
参道の様子
参道途中に立つ二の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
境内の様子
拝殿前、昭和3年生まれの出雲狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和3年(1928)9月建立)
入母屋造りの拝殿
拝殿目貫彫刻
弊殿と本殿
拝殿に隣接して建てられた参集殿?

境内の左手に祀られる境内社 社殿前に祀られる石祠