神明社

鯖江市水落町81烏ヶ森1(平成20年11月2日)

東経136度11分7.48秒、北緯35度57分58.01秒に鎮座。

 この神社は福井鉄道福武線・神明駅の南南東すぐに鎮座しています。
 道路上に「縣社 神明社」の社号標が建ち、烏ヶ森公民館前に南からはいる表参道入口があります。数段の石段を上がり一の靖国鳥居を潜ると、鬱蒼と木々の茂る200m近い下りの参道の右手には市指定文化財・烏ケ森の社叢が広がっています。烏ケ森の社叢が終わる頃、左手には雨乞い神事が行われていたという月形の神池が見えてきます。神池手前には慶長の燈籠が建ち、社名不明の境内社が祀られています。
 境内入口には二の神明鳥居が建ち、境内右手には小さな古墳上に県指定文化財・神符納蔵があります。境内正面中央に拝殿があり、拝殿の後方に県指定文化財・貞享5年(1688)建立の中雀門、中雀門と塀に囲まれて奥に本殿と脇社が二社建立されています。
 本殿北には境内社・金比羅神社が祀られ、境内右端には嘗ての神明社宮司宅であった重要文化財・旧瓜生家の藁葺き屋根が、庭木の紅葉の中に叙情的な姿で残されていました。因みにこの家は古民家としては福井県下で最も古い物だそうです。
 この社では何といっても参道を彩る烏ケ森の社叢が印象的で、市街地の中にこんなに色濃い社叢が残されているのは奇跡的…としか思えません。この豊かな自然の杜を何時までも残していただきたいですね。

 御祭神:天照皇大神、菅原道眞公
 祭礼日:9月18日、 特殊神事:大雷子神事・雨乞ノ神事
 境内社:八幡神社、日神社、多賀神社、土宮、金刀比羅神社
 由緒:社伝によると、安康天皇の御代(5世紀中頃)の勧請といわれています。
 往古は、現在地から北東約3kmの文殊山の南麓・現下河端町の「湯の花山」に鎮座していましたが、鳥羽天皇の大治4年(1129)に、押領使兼神領使・藤原国貞の神託により現在地に遷座しました。
 その後は朝倉家より田地一段歩が寄付されたり、太閤検地の際、田地三段歩が寄付されるなど歴代領主により崇敬庇護されてきました。
 口碑によると、慶長6年(1601)松平秀康公入国の際、水落烏ケ森にさしかかると乗馬がいななき物怖れをして進まず、臣下に偵察させたところ森の中に立派な神社が鎮まっているのを知り、下馬して社殿に額ずき、御高五十石を献じたといわれています。
 また、松平秀康公の娘の病気平癒を祈願したところ全快したので、社殿および神官瓜生家の家を寄進したといいます。
 明治8年5月縣社に列せられ、明治45年、観音寺にあった無格社天満宮を合祀しました。

道路上に建つ社号標
「縣社 神明社」
南側・表参道入口
表参道入口に建つ
社号標
表参道に建つ一の靖国鳥居

鬱蒼と木々の茂る200m近い下りの参道の右手には市指定文化財・烏ケ森の社叢が広がっています。 烏ケ森の社叢が終わる頃、境内入口の鳥居が見え、左手には雨乞い神事が行われていたという月形の神池が見えてきます。

神池手前に建つ慶長の燈籠 神池
神池の畔に祀られる境内社 何故かこの境内社脇には牛さんが寛いでいます。
境内入口の二の神明鳥居
社殿全景
拝殿前、大正5年生まれの狛犬
阿吽の位置が反対で、阿は子狛を連れ、吽は玉に前足をかけています。ふくよかな体格の狛犬で、造りは全然違いますが、顔つきは加賀狛犬系ですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正5年(1916)8月17日建立)
拝殿

県指定文化財・貞享5年(1688)建立の中雀門
嘗ては茅葺の屋根だったと思われる肉厚の屋根を持つ神明造りの本殿
本殿左脇の境内社 本殿右脇の境内社
境内社:金比羅神社

県指定文化財・神符納石禽

重要文化財・旧瓜生家
境内の様子 北参道入口と神明鳥居