加多志波(かたしば)神社

鯖江市川島町27-22 (平成25年10月18日)

東経136度13分42.23秒、北緯35度56分31.83秒に鎮座。

この神社は、北陸自動車道・鯖江ICの東2.5km程の辺り、三里山と呼ばれる小さな山の北側山裾に鎮座しております。三里山は標高350m程、嘗ては、鯖江と武生と今立の3つの里にまたがるので「三里山」と呼ばれているようです。

加多志波神社の歴史は古く、延長5年(927)に完成したとされる『延喜式』神名帳にその名を見ることができる。
社伝には、足利高経と新田義貞が越前各地で戦った延元頃(1336〜1340年)、当社を篤く崇敬した南朝方の武将 川島惟頼によって広壮な社殿が造営されたという。その後、文禄(1592〜1595)年間に衰微したとされるが、現在も当社には木造追儺面(国指定)、木造聖観音菩薩立像(県指定)、三重塔跡(市指定)など往時の繁栄を物語る様々な文化財が伝えられている。・・・・・・・・・・
鯖江市教育委員会

加多志波神社は、川島町三里山麓の杉小立の中にある氏神様です。この加多志波神社には3つの面があります。木造の鎌倉後期の作といわれており、父鬼・母鬼・子鬼の3面とも国の重要文化財に指定されています。毎年2月11日には、餅をまいて厄を払う神事「おこない」が加多志波神社境内で催されます。また一年でこの日に限って、宝物庫の扉が開かれ、3面の追儺面の見学が許されます。
鯖江観光協会公式サイト、さばかん より

参道と社号標

神社入口

参道

旧八幡神社鳥居台石
鳥居の木造部分が失われ台石だけが残ったもので、枘穴間の距離は380cmである。加多志波神社に伝来する「鬼面箱」の墨書によると、敦賀郡司であった朝倉九郎左衛門景紀が孫の七郎とともに、自領の川島庄蓮華寺の奥坊光厳寺に居住していた元亀元年(1570)正月26日に、(敦)賀の5人の大工に命じて建立した「八幡神社」の鳥居であることが分かる。
この鳥居台石は市内最古の鳥居遺構であり、建立の由緒も明らかで貴重である。鯖江市教育委員会

最後の石段

境内

縦置きの出雲型狛犬。拡大写真はこちら。
(明治41年(1908)建立)

拝殿

本殿覆屋


鯖江市指定文化財 三重塔跡に建つ塔佛堂

観音堂

末社