釣姫神社

小浜市松ヶ崎2-1 (平成22年7月29日)

東経135度45分24.41秒、北緯35度30分20.27秒に鎮座。

この神社は、北川の河口近くの北側、小浜市の住宅地に鎮座しております。

釣姫神社御由緒
この神社は昔日大日霊貴命(天照大神)を氏神として祭り後年、本地薬師如来を合祀。「薬師の森」として尊敬されていた。
承安二年沖の石の和歌の作者二条院讃岐姫が貴く崇敬愛用されていた面が福谷の海岸に漂着した。その面を御神宝とし二条院讃岐姫の御神霊を勧請し合祀された。俗に「釣部明神」と云い、又は「明神さん」と親み深く呼ばれ多くの氏子に祭られた神社である。寛永十一年(1635)酒井忠勝公が小浜藩主として着任後、同二十一年武威増暉の為本殿を造営になり釣姫神社と改名され酒井姫方の祈願所とされた。現在は堀屋敷・板屋町・大湊・福谷が氏子として護持運営に当っているが、以前は北川より以北の雲浜福谷・水取・山手も入り多くの人々が氏神様としてお祀りしていたと聞いている。
宝永二年境内に稲荷小社を造営し後、稲荷七社を合祀する。又明治四十一年福谷区にあった若宮神社の御祭神、大日霊貴命を合祀し今日に至っている。その間、神輿の造営・本殿の上葺・拝殿の建設・鳥居・灯篭・狛犬の寄進更には御手洗所の整備寄進等によりその姿を整え、現在に至っている。

石に寄する恋(百人一首所載)
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし

釣姫神社社務所。原文はこちら。

創建年代も場所も不明であるが、大日靈貴尊"おおひるめのむちのみこと"と薬師如来が合祀され、薬師の森と呼ばれていた。寛永年間(1624〜1644 年)、酒井忠勝公が現在の松ヶ崎に神社を再建し、二条院讃岐姫を祭神として釣姫神社と改称した。この釣姫神社は内外海地区・田烏の釣姫明神から移転された ものらしく、また、薬師の森と呼ばれていた時代、二条院讃岐姫愛用の面が祀られていたという伝説がある。僧・行基作といわれる薬師如来は明治になって羽賀 寺に移管された。
旧、小浜市公式サイト小浜の祭りより。

「沖の石の讃岐」の異名を持つ源頼政の娘、二条院讃岐。晩年は父頼政の所領であった若狭国宮川保の地頭となっていたことから、この地に由緒書のような伝説が生まれたのかも知れません。当神社は、嘗て酒井姫方の祈願所とされていたことを思うと、現在はやや簡素な感じがします。限られた氏子だけで維持管理は多くの困難が伴うようです。

神社全景

社号標と鳥居

境内

拝殿

灯篭と植木の陰で目立たない出雲丹後。拡大写真はこちら。

(昭和6年(1931)5月建立)

玉垣内側の出雲構え。拡大写真はこちら。

(年代不明)

本殿覆屋

本殿正面

本殿脇、石造の神殿狛犬。拡大写真はこちら。

左右の脇社