小浜神社

小浜市城内1 (平成22年7月27日)

東経135度44分56.15秒、北緯35度30分3.42秒に鎮座。

この神社は、小浜駅の北1.5km程の辺り、西は小浜湾、北川と南川に挟まれた中州に鎮座しております。住所は城内となっているように、明治迄は小浜城(雲浜城)のあった所です。各地の城跡に藩祖を御祭神とする神社が明治の世に多数造られましたが、ここも同じく、幕末迄小浜藩であった酒井家の当地における祖、酒井忠勝を祀った神社であります。

小濱神社(旧社格県社)
御祭神:酒井讃岐守忠勝公・天御中主大神
由緒
酒井忠勝公、國家治政輔翼に偉大な勲績あり、若狭國就封より、領民其徳沢に追慕の至情止難因て若狭國及越前敦賀士民有志により、明治八年五月二日官許を得て、この小浜城本丸跡に社殿を創建、城地に祀る。
天御中主大神を合祀し同年九月二十五日大祭を斎行した。
境内由緒書より。原文はこちら。

小浜城 別称雲浜城
慶長六年(1601)京極高次が着工し、その子忠高に至る三十三年間に城の大半を造り、寛永十一年(1634)酒井忠勝が藩主となり、寛永十五年三層の天守閣を築いた。
境内由緒書より。原文はこちら。

初代酒井小浜藩主の酒井忠勝は、1587年(天正15)、酒井忠利の長男として三河国西尾(愛知県西尾市)で生まれました。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いに先立ち、徳川秀忠が信濃の真田昌幸・幸村父子を攻めた戦いで初陣を果たしました。1620年(元和6)2代将軍秀忠は、世継ぎとなる子徳川家光に忠勝を近待(侍?)させ、2年後には1万石を加増して大名にしました。1624年(寛永元)に老中、1627年には武蔵国川越で10万石を得て、1634年(寛永11)には11万3500石で小浜藩主として小浜に入部しました。1637年(同14)大老に就任し、4代徳川家綱を補佐する幕府の重鎮として活躍しました。1656年(明暦2)隠居し、1660年(万治3)剃髪して空印と名乗りましたが、幕政にはなお大きな影響を持ちました。初代酒井小浜藩主として小浜の町づくりの基礎を築くと同時に、この小浜城を完成させました。
境内案内より。原文はこちら。

小浜城を完成させた酒井忠勝公漫画版はこちら。

神社入口

参道脇の手水舎

境内

小父さん顔ですが、滋賀県っぽい狛犬です。拡大写真はこちら。

(昭和6年(1931)5月建立)

拝殿

幣殿

本殿覆屋


八助稲荷大明神

この小浜城主酒井忠勝公の御代に八助という仲間がいた。江戸と小浜との間に公用の文箱を運ぶのに普通の人なら十五日もかかるのに六日ぐらいで使いをするので人々は感心し、また不思議に思っていました。
ある朝、小田原の城下に犬にかみ殺された一匹の白狐の首には酒井家の紋のついた文箱がつけられていました。当然このことは小浜にも伝わってきましたが、数日前から八助の姿を見た人はありません。
これはきっといつも稲荷明神が信仰の篤い忠勝公のご治政を白狐をつかわし助け給うたのだと思い、それ以来八助稲荷明神という名をつけてお参りをつづけてきました。
原文はこちら。

お狐様

社殿


本丸の石垣跡

南川

北川


御神木