劔神社

丹生郡越前町織田113-1 (平成25年10月19日)

東経136度03分29.81秒、北緯35度57分16.97秒に鎮座。

この神社は、織田家発祥の地と言われる、越前町織田。その中央に鎮座しております。織田家は当社を氏神と定め、織田信長公も神領を寄進し、保護したと伝えられています。別名織田明神(おたみょうじん)。気比神宮に次ぐ、越前二の宮となっており、越前国の式内社、敦賀郡「劔神社」の論社とされております。

御祭神 素盞鳴大神・気比大神・忍熊王

由緒
悠久の昔、遙か北に仰ぐ座ヶ岳の峰に素盞鳴大神を祀り"劔大神"と称えられてきました。
神功皇后摂政の頃、第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王は、劔大神の御神威を頂き当地方を無事治めることができたことを謝(いや)び、現在の地に社を建て"劔大明神"、と仰
いできたことを社記は伝えています。
奈良時代より祈願の霊場として朝廷をはじめ多くの人々から厚い信仰を受け、現在所蔵する国宝の梵鐘(ぼんしょう)は第四十九代光仁(こうにん)天皇の御奉納といわれています。
中世以降は朝倉氏を始め武将の崇敬も厚く、特に織田信長公は氏神と崇めて、格別の信仰をもって神領を寄進し神社を保護しました。
江戸時代の末には伏見宮(ふしみのみや)家の御祈願所と定められ、拝殿の御寄進をいただき厚い尊崇をうけて今日に至っています。越前国二の宮として一の宮の氣比神宮(けひじんぐう)と共に、福井県民はもとより県外の方々の信仰も厚い神社です。

社伝によれば座ケ岳(くらがたけ)の峰に祀られていた素盞鳴大神の御神霊を第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王(おしくまのみこ)が、この地に斎き祀られたと伝えている。即ち、神功皇后摂政の頃、忍熊王が当地方の賊徒討伐にあたり、素盞鳴大神の御神助を戴き無事平定できたことに対し、神恩報謝のため織田のこの地に社を営み劔大神と称え、その後、王が薨去されるや里人はその徳を慕い、主神素盞鳴大神に配し祀った。
奈良時代には祈願の霊場として朝廷をはじめ多くの人々から篤い信仰を受け、殊に所蔵する国宝の神鏡は第四十九代光仁天皇が白壁王と申されていた頃、弓削道鏡の野望を砕くために当社に大願が掛けられ、成就の御礼として御奉納戴いたといわれている。また、武門にあっては平重盛を始め朝倉・織田・徳川・松平の諸将の尊崇が篤く、特に織田信長は氏神として崇め、格別の信仰をもって神領を寄進し神社を保護した。
江戸時代の末には伏見宮御祈願所に定められ、拝殿は伏見宮の御勧進によって造営された建物で、明治三十四年には県社に、昭和三年には国幣小社に昇格した。・・・・・・
境内由緒書き より

劔神社と織田一族
日本一の大武将織田信長公を始めとする織田一族の発祥の地が、織田の地であることは広く世に知られている。先祖は劔神社に代々奉仕の神官忌部氏である。室町時代の越前の守護大名は斯波氏である。この斯波氏と織田氏とが主従の関係にあり、應永七年(1400)時の守護大名斯波義重が尾張の守護を兼任することになり、家臣の織田氏も尾張へ赴き、後、守護代として斯波氏に代って統治する。應仁元年(1467)に應仁の乱が起り、戦国乱世へと突入する。織田氏も次第に勢力を伸ばし、ついに尾張の大名となる。戦乱の真只中に一人の傑出した武将が出現する。天下布武を標榜し、乱世の平定に立上り、天下統一を成しとげんとした織田信長である。新時代を創成し、近代日本の基礎を築いた人である。又、劔神社に対する崇敬心は篤く、織田の地を出て百七十有余年、尚一族の氏神と崇め、社領を安堵し、保護している。又、一族の中で特筆すべきは、津田近江守正路なる人である。幕末、鎖国か、開国かで国論が二分する動乱の中、箱館奉行の職で、外国奉行を兼帯し、開国派として積極的に開国を推進し、明治の御代、日本が大躍進をとげる道を開いた一人である。津田家は信長公の祖父信定公の兄、織田秀敏公(津田玄蕃頭)を始めとし、代々津田姓を名乗る。徳川時代旗本三千有余石の禄高をうけ、先述の要職の外勘定奉行、大目付を務めた家柄である。昭和五十九年は信長公が、備後守信秀公の嫡男として生れて四百五十年に当り、之を記念し、織田一族の遺業、遺徳を称え、由縁深い劔神社境内の一角に、戦国武将・織田一族発祥地の石碑も建立し、深いつながりを永久に伝えるものである。

津田氏の御子孫が書かれたようで、織田氏より津田近江守が持ち上げられているような気がします。 劔神社公式サイトはこちら。

南入口

社号標 神額
笏谷石で彫られた素晴らしい越前狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

境内

石燈籠の狛犬

拝殿より見る境内

拝殿

拝殿内部

織田造りと称される、寛永四年(1627)再建の本殿。


おもかる石

縁むすび夫婦杉。劔神社の御祭神、素盞鳴神は良縁和合の守り神と信仰されています。

子寶さま

御神木


「織田一族j発祥地」の碑

商店街に立つ織田信長公


東入口を護る籠神社型狛犬。拡大写真はこちら。
(祝奉 紀元2600年 昭和15年(1940)建立)

北入口