金刀比羅山宮

丹生郡越前町小曽原90-12 (平成25年10月19日)

東経136度04分01.30秒、北緯35度55分06.32秒に鎮座。

この神社は、幡ケ山(はたがやま)と呼ばれる小高い山の頂に鎮座しております。登山道の入口近くに社務所があり、山全体が神域と思われます。

成立の年月は不詳ですが、社伝によれば後醍醐天皇の御代に出雲地方にお祀りされていたといわれる大国主大神・事代主大神が故あって当地に、奉遷されたのが草創といわれております。
安永二年(1773)に宮守の高原正信が、讃岐國金刀比羅宮の御分霊を奉戴し、合祀してより金刀比羅山宮と称するようになり、日本海と周辺諸国を守護し給う神社として、広く信仰されるようになりました。御祭神は国土守護、海上守護百般の事物に無限の御神徳を現し、災いを除き、福徳を与えて下さるとして、深く信仰されております。
越前國幡ケ山鎮座

縁起
古くは出雲地方に祀られていた神が約六百年前、故あって当地に奉遷されたのが興りであると言われております。社伝に依れば戦国の世、奉斎の地を求めて日本海を北上、難関苦難の果てにこの地を定め奉鎮された神社であると云われております。
後に一舟乗安命(生年不詳〜延宝三年没)が霊山幡ヶ山と呼んだ事が伝えられております。
享保十六年百年来の大雪や翌年の大飢饉、天災・疫病・兵害・過酷なる弾圧により庶民が苦境に陥いった時、心を痛めた当時の宮守高原正信大人は天文元年讃岐國・金刀比羅大権現(現在の金刀比羅宮)に詣でた夜、神の啓示を受け、寛保元年より安永二年に亘り毎年讃岐詣でを行い、御社殿の建立を成し遂げ安永二年七月十日御分霊を奉鎮致しました。以来、当社では毎年七月十日を例祭の斎行日と定めております。当時は金刀比羅大権現と称しており社名額などが現存されております。

由緒書き原文はこちら。 金刀比羅山宮公式サイトはこちら。

自動車道脇に立つ一の鳥居

社号標 神額

池の左側が旧参道のようですが、現在は使われていないようです。

自動車道の参道

石段の始まり

参道

うねるカールが綺麗、彫りも素晴らしい逸品。拡大写真はこちら。
(御即位大礼紀念 大正4年(1915)7月建立)

神仏習合時代の名残か、参道脇の鐘楼。

境内入口

二の鳥居

拝殿

向拝の龍と虎

拝殿も寺院建築風

本殿


恵比須神社


天満宮・神明社

御神水

御神水の脇から続く旧参道


御神水のすぐ下の開山堂

悪戯小僧みたいに結構可愛い狛犬。拡大写真はこちら。
(明治43年(1910)3月建立)

扁額