佐支(さき)神社

三方郡美浜町久々子 (平成22年7月30日)

東経135度54分50.64秒、北緯35度36分16.52秒に鎮座。

この神社は、三方五湖の一つ、久々子湖と、若狭湾との間。久々子の西外れ、久々子寺山公園の東山麓に鎮座しております。若狭國三方郡の佐支神社に比定される式内社であります。

式内社 佐支神社
御祭神 素盞嗚尊
家庭和楽、子孫繁栄の大神で五穀豊穣災難消除、国家鎮護の守護の神として崇敬されている。
合祀社 宗像神社他七社
例祭日 毎年十二月八日
由緒、沿革
当社は平安時代の初期(約千余年前)の延喜式神名帳に載せられた古社である。天慶年間に今の三方町家傍から久々子の祖先住民の移動と共に、此の字、的場に鎮座し、以来元亀年間の兵火によって焼失、のち再建されたと伝えられている。更に明治四十一年末社八社の合祀の機に社殿の新築造営に着手、大正元年十二月本殿を、翌二年十二月に拝殿が落成した。よって大正三年十一月村社に列せられ、翌四年一月神饌幣帛料供進神社に指定された由緒ある社である。社名の由来は古の鎮座地の地名による。

江戸期〜明治22年の村名。三方郡のうち。小浜藩領。村高は,「正保郷帳」では田方427石余・畑方47石余,計475石余,「稚狭考」では600石余,「天保郷帳」では740石余,「旧高旧領」では808石余。「雲浜鑑」では787石余,戸数115・人数450。著しい村高の増加は,寛文2年の地震により湖岸が隆起し,田地を開拓,さらに寛文5年荒井用水の完成による新田開発などに起因する。神社は江本大明神・弁才天・宗像・愛宕・秋葉・若宮八幡がある。このうち江本大明神は,明治4年式内社の佐支神社と認定され古名に復した。気山地籍の家端山に久々子村が開かれた折,同社は古崎に鎮座し,佐支神社と称した。村移転後,現在の小島崎に遷座,江本明神と改称したと伝える(三方郡誌)。伴信友は「神社私考」のなかで「此神社,今詳ならず,国帳にも見え給はず。そのかみ社号の異りたるか,又既く廃給へるか。郡中井崎村あり。守護次第には伊崎と書り。この伊崎もし古名佐支とは云はざりしか」と述べている。祭神は素盞嗚尊,「旧藩秘録」には「江ノ本大明神 正月・四月朔日・三月三日・五月五日・九月九日・十一月初午ミキ白蒸備」とある。
角川日本地名大辞典「美浜町久々子村」より。

江戸時代は江本大明神と呼ばれていたが、明治4年式内社の佐支神社と認定され古名に復したとあります。

神社入口

一の鳥居と「式内村社社号標

二の鳥居と舞殿

舞殿

もう一段高い所にある本殿

石段左右の出雲丹後。拡大写真はこちら。

(年代不明)

境内。拡大写真はこちら。

本殿正面

左手神輿倉内の神輿

背後の杜