彌美(みみ)神社

三方郡美浜町宮代 (平成22年7月30日)

東経135度57分50.89秒、北緯35度35分28.06秒に鎮座。

この神社は、三浜町役場の南東2km程の辺り、宮代集落の東外れ、御岳山の西山麓に鎮座しております。宮代集落に向かって行くと、水田の中の一本道に燈籠と社号標が立っていますが、神社は全く見えません。参道は宮代集を抜けて、600m程もあるでしょうか。境内は明るく開けていますが、見上げるような杉の巨木があり、由緒を感じさせる落ち着いた神社です。

彌美神社略由緒
式内にして若狭神階記に正五位耳明神とあり社号を嘉禄二年以降二十八所宮と称す。明治二年小浜藩廳より彌美神社と復称することを許され、明治四年郷社に列せられ、明治五年敦賀縣廳より再び郷社に列せられる。明治四十一年四月二十六日福井縣より勅令による神餞幣帛料供進神社に指定され、大正十四年四月八日県社に列せられ、同年一月二十一日再び神餞幣帛料供進神社に指定される。
第九代開化天皇の御孫に坐し室毘古王と称え奉る此の神は、第十代崇神天皇の御代に多くの皇族を國中に遣わし各地に留められて御治めになった時に、室毘古王は三方郷を治められることとなり衣食住を掌る多くの臣下を召連れられ、彌美郷即ち現在の三浜町旧耳村に御駐まりになって此の地の人民に御教になりましたので、其の御陰によって吾々の祖先は何不自由なく安楽に暮らすことが出来るようになったのです。その御恩を忘れぬ為に吾々の祖先は大寶二年(702)に御宮を建て以来の領家、公文預所、下司、守護、総遣捕使、国守等の寄進田、山林の禁令及び祈願の文等武家の崇敬篤く、特に正保二年酒井忠勝公御祈願あって神殿を補修され、又京極忠高領國の時も多くの山林(山林六百余町歩、田地二町余)を寄進され、酒井忠直公、酒井忠■(口の中に有)公も旧例により崇敬篤く御祀りしたのです。
このように此の土地の為に御尽し下さった神様でありますから、吾々も祖先同様又それ以上に御祀りしなければなりません。
境内由緒書より。原文はこちら。

御祭神:室比古王・二十八所大明神・天照皇大神・豊受大神・建御雷神・天兒屋根命・布都主神・比淘蜷_・大山祇命・応神天皇・倉稲魂命・菅原道真公

参道入口に立つ石燈籠と「式内縣社彌美神社」の社号標。地図を見るとここの西側の流れが耳川。嘗てこの辺りを、耳村と云った名残でしょうか。

参道途中一の鳥居

参道

神社入口に立つ二の鳥居

舞殿

玉垣内側の浪速狛犬。拡大写真はこちら。

(弘化4年(1847)丁未正月吉日建立)

拝処と本殿覆屋

狛犬と象

本殿


末社

御神木